生理用品の歴史は、女性の社会進出の歴史だった!月経が“禁忌”から“当たり前”になるまで
生理用品の進化を阻んだ月経不浄視
――月経禁忌が薄れ始めたのは、いつ頃だったのでしょうか。また、そのきっかけは? 田中先生:明治時代に入ると、月経は“富国強兵”を実現するための重要な生理現象と見なされるようになります。月経不浄視は月経を管理することの妨げとなっていたため、当時の医師たちは、月経禁忌の払拭に努めました。 しかし、1000年以上も続いた月経不浄視は、人々の生活に根強く残りました。大正時代に初経を迎えたある女性は、母親や姉とも月経の話をしたことがなく、経血処置の方法も教わったことがなかったそうです。さらに、経血処置用品は「不浄なものだからお日様にあててはいけない」ため洗濯後は物置きに干していた、などの体験談は枚挙にいとまがありません。 経血処置用品は隠すべきもの、月経は“シモのこと”という認識はその後も続き、女性たちの「もっと快適な処置用品を使いたい」という思いを封じ込めていました。生理用品の進化、そして女性の社会進出を阻む、大きな要因であったと言えるでしょう。
明治時代の生涯月経数は50回ほどだった!
――日本では、大正時代の1920年ごろから、生理休暇獲得運動が始まりました。生理中の女性の体を労わるための制度を求める一方で、生理のタブー視が続いていたのは、とても不思議な現象のように感じます。 田中先生:当時は、現代のような生理用品がなかった上に、鎮痛剤も女性用トイレもありませんでした。そのような環境で、女性教師や「看護婦」たちが生理休暇を切実に求めたのは当然でした。 ところで、妊娠・出産を繰り返していた女性たちの月経回数が現代ほど多くなかったということも、生理用品が長い間、進化しなかった理由のひとつです。あくまで平均値での比較となりますが、明治時代の女性は、初経は現代女性より遅く、閉経は早かった。子どもの数を5人とした場合、現代よりも長かった「授乳性無月経」の期間を考慮すると、生涯の月経回数は50回程度だったと言われています。