ダムの地図記号は複数種類がある!?周辺の地形図からわかる、建設までの険しい道のり
◆ダムの表記の仕方 ダムも基本的には溜池と同様だが、形式や材質によって表現は異なる。土を台形に盛って固めたアースダムは土堤の記号で、東京都の村山貯水池(多摩湖)や埼玉県の山口貯水池(狭山湖)などが知られている。 コンクリートのダムはグレーのベタ(墨10パーセント)で表現される。これは「平成14年図式」からのもので、それ以前は「大規模な擁壁」の扱いで、黒い点々がびっしり並んでいた。 コンクリートのダムは大きく分けて重力式ダムとアーチダムがあるが、これは真上から見た形ですぐ判別できる。 アーチダムは文字通りダム湖側に反ったアーチ形になっており、記号もグレーのスリムな帯が曲線を描くのに対して、重力式ダムはグレーの面積が広く、上から見て台形を示す。天端の水面下にも同じような台形が隠れているのだが、地形図では水面下の様子を表現しないので、描かれるのは地上に出た法面のみである。 日本国内では堤高が186メートルと最も高い富山県の黒部ダムはアーチダムの代表格だが、地質の関係で両側に重力式コンクリートのウィングダムを持つ。 建設中の殉職者が171人という難工事の様子は語り草となっているが、地形図でダム周辺の険しい地形を見るだけでもそれは想像できる。
◆大型ダムの下に沈んだもの 大型ダムの建設にあたっては集落が水没することも多く、多数の住民が移転を余儀なくされてきた。 先祖代々ずっと守ってきた田畑や屋敷を手放し、母校が失われ、幼い頃から馴染んできた風景が消えてしまうことほど悲しいことはないが、特に戦後はダムの建設が各地で盛んになり、故郷を失った山村の人々は少なくなかった。 代替地は用意されるのだが、それを機に隣近所がバラバラになってしまうこともあれば、地縁を断って都市へ出る人も多かった。 神奈川県民への上水道用水の供給や水力発電用として昭和15年(1940)に建設が始まった相模ダムでは、湖底に沈むことになった勝瀬(かつせ)の集落が26キロ離れた海老名市へ集団移転しているが、新天地には故郷と同じ「勝瀬」の地名を付けている。 静かに水を湛えるダム湖の下に故郷が沈んだ人たちがいること、ダムの工事で殉職した工事関係者がいたことは忘れてはならないし、治水の最前線でダムの貯水量を絶妙なタイミングで調整している現場のことも、時には想像してみたい。 たとえ記録破りの豪雨の中で神業のような治水に大成功して何万人を救ったとしても、彼らがメディアで称賛されることは少ない。 その大成果たるや「何事もなかったこと」なのだから。 ※本稿は、『地図記号のひみつ』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。
今尾恵介