「東京がダメになったら日本を救え」 名古屋の災害ボランティア連絡会が17年間続く秘訣は?
阪神・淡路大震災から1月17日で28年になる。1995年は「ボランティア元年」と呼ばれ、名古屋エリアでもこの震災をきっかけに災害ボランティア活動が盛んになった。そして名古屋市内の災害ボランティアや行政の担当者らがほぼ毎月、顔を合わせて情報共有をする「なごや災害ボランティア連絡会」も今月200回の節目を迎えた。 2006年の発足以来、17年にわたって継続している災害ボランティアの会議は全国的にも珍しく、市外からの視察もあるという。メンバーは高齢化していくが「次は300回」と意気込み、南海トラフ地震などの災害に備える。その継続の秘訣や意義を探った。
数々の災害を経て体制整備の必要性認識
ボランティア元年から3年後の1998年、15の民間団体が災害時のボランティア受け入れ体制の整備などに関する協定を愛知県と結び、「防災のための愛知県ボランティア連絡会」を設立した。2000年に地元を襲った東海豪雨で体制整備の必要性がさらに認識され、名古屋市内の各区単位で災害ボランティア団体の結成が進んだ。 市は2002年から、災害時に全国から集まるボランティアの受け付けや整理などを行うスタッフを育てる「なごや災害ボランティアコーディネーター養成講座」を開設し、その受講者が中心となって「災害ボランティアコーディネーターなごや(ボラコなごや)」が発足。04年の新潟県中越地震での支援活動を経て、市とボラコなごや、各区の災害ボランティア団体、災害救援のNPO法人「レスキューストックヤード」が愛知県と結んだのと同様の協定を結ぶとともに「なごや災害ボランティア連絡会」を設置したというのが流れだ。
「義務感でなく、役に立ちたいという思い共有する場」
連絡会は月に1回、ほぼ欠かさず定例会を開く。名古屋市や名古屋市社会福祉協議会を含む計22団体の関係者が毎月のように顔を合わせる。各団体が活動状況を発表し、その内容や課題を共有しながら関係性を深めていき、災害時はいち早く連携してボランティアセンターの立ち上げなどにつなげる。実際、発足2年後に名古屋市や岡崎市で浸水被害の出た「平成20年8月末豪雨」が発生したときは、連絡会での情報共有を基にした支援活動が展開できた。 中心メンバーの一人でボラコなごや代表の髙﨑賢一さんは「災害ボランティアというと『やらなきゃいけない』という義務感を持つ人も多いが、そうではなく各自が『何か役に立ちたい』という思いを共有する場がこの連絡会。みんなが仲間として居心地の良い雰囲気となるよう工夫してきた」と話す。200回という節目には「この先の使命の重大さをあらためて感じる」と気を引き締めた。