『光る君へ』藤原兼家も息子の道隆も、愛する女性の和歌とともに旅立った。道長の最期はどう描かれるのか?
◆嵐山の公園で百人一首の歌碑めぐり 嵯峨嵐山文華館の近隣の公園には、「小倉百人一首」の歌碑100基が数か所に分散して建てられています。正式には「小倉百人一首文芸苑・屋外展示」と呼ばれるもの。さすがは「小倉百人一首」発祥の地、と言いたいところですが、私が見る限り、この歌碑に目を留める人はほとんどいないようです。 実を言うと、私自身も以前は、「なんだろう、この石。ああ、歌碑か……」くらいの関心しかありませんでした。ところが、『光る君へ』や本連載の執筆をきっかけに、この歌碑の見方が徐々に変わってきたのです。 歌を詠んだ平安京の人たちも、この場所に立って、嵐山の紅葉に感動したり、渡月橋の上にに浮かぶ月を見て誰かを想ったりしていたのだな――そんな心持ちで歌碑を眺めると意外に味わい深く、ワンコとの散歩がてら“歌碑探し”を楽しんでいます。 そう、歌碑めぐりではなく、“歌碑探し”。広範囲に点在する100基のなかから、『光る君へ』に関連した歌人の歌碑をゲーム感覚で探し当てるのです。 歌碑めぐりマップを表示したスマホを手に、現地の案内図も確認しながら探すのですが、これがなかなかに難しい。「これだ!」と思ったものが別の歌碑だったりで、あっちをウロウロ、こっちをキョロキョロ。犬を連れていなかったら、不審に思われそうです。 この連載のために「写真を撮らねば!」との気持ちも手伝って、お目当ての歌碑を、意地になって探してしまいました。
◆今生の別れに「あの歌で、貴子と決めた……」 無事に探し当てた歌碑のなかから、ドラマにも登場する歌人のものを、いくつかご紹介しましょう。 まずは、ヒロイン・紫式部の歌碑のある「長神の杜(ちょうじんのもり)」地区へ。常寂光寺と二尊院の間という立地ですが、入口が目立たないせいか、ここはいつも閑散としています。怖いぐらい誰もいない、と言っていいほど。なかに入れば、紫式部の歌碑(57番)は比較的見つけやすいと思います。 この地区には、前回(本連載12回)紹介した曽祖父・兼輔(中納言兼輔)の歌碑もあるのですが、注目したいのは、儀同三司母の歌碑(54番)。ちょうど紫式部の向かい側あたりに位置しています。 儀同三司母って誰? 『光る君へ』に出てないよね? と思った方もいるのでは。儀同三司母という呼び名ではピンとこないかもしれませんが、実は、この女性は高階貴子。道長の兄・道隆の妻で、伊周や定子らの生母です。ドラマでは板谷由夏さんが演じていました。儀同三司(ぎどうさんし)とは、伊周が自称した准大臣の異称で、伊周のことを指すそうです。 「忘れじの 行く末までは かたければ 今日をかぎりの 命ともがな」 あなたが私のことを忘れないとおっしゃったその言葉も、遠い未来まで守られるとは信じがたいので、今日までの命であってほしい、といった意味。いっそ、幸せの絶頂の今、死んでしまいたい、という女心です。のちに夫となった道隆が、貴子のもとに通い始めた頃に交わした歌のようです。 『光る君へ』にこの歌が登場したのは第17話。井浦新さん演じる関白・道隆の最期が描かれた回でした。 息が絶える前、道隆は思い出話を始める。「そなたに会ったのは、内裏の内侍所であった。スンと済ました、おなごであった」。その言葉を受けて、貴子はこう返す。「道隆様は、お背が高く、キラキラと輝くような殿御でございました」 道隆は続ける。「忘れじの 行く末までは かたければ 今日をかぎりの 命ともがな……。あの歌で、貴子と決めた」 きらめくような若き日々を語り、道隆は貴子に見守られて逝く。息子に権力を継がせるため、強引なこともしてきた道隆ですが、散り際の夫婦愛には泣かされました。
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