「アジアン・アート・ビエンナーレ 2024」(国立台湾美術館)レポート。不確かな未来に対処するための、深い潜水の実践
土地の搾取と所有をめぐる問い
1階の最初の展示室には、土地や大地を様々な方法で扱った作品が集う。そこで扱われているのは、土地の搾取や所有、あるいは土地がどのように帰属意識を生み出すかといった問題だ。 たとえば、ニューカレドニア生まれのアーティスト、ナタリー・ムチャマドの《Breadfruit, Mutiny and Planetarity》は、台湾、ポリネシアの島々、カリブ海をつなぐパンノキの歴史や移動を主題とした作品。パンノキは、英領西インド諸島のプランテーションの奴隷に食料を供給するためにジャマイカへと運ばれた植物で、実だけでなく、花や樹皮も様々に活用されてきた。ムチャマドは、そのパンノキで作られたテキスタイルや紙を用いた作品群や壁に直接書いたテキストを通じて、植民地主義の物語と同時にパンノキという植物の豊かさも描き出す。会期中、観客からパンノキを使った料理のレシピを集め、それらをシェアするワークショップも行われるという。 レバノンのマルワ・アルサニオスは、ベイルートにある私有地を共有の農地にするプロジェクトをとらえた映像作品や、有害廃棄物処理場で見られる生態系を描いたイラストレーションなどを通して、土地と人々の関係や「所有」に代わる土地の扱い方を探求する。作品の一部として、作家が台湾の農家の人々と行った読書会の成果も紹介されている。 パレスチナのアーティスト、ノール・アベドが故郷の古代遺跡で撮影した映像作品《A Night We Held Between》は、2023年に撮影されたものだという。いなくなった人を恋しがる歌と歴史の積み重ねの上にある土地、そしてそこに生きる人々が織りなす静かで抽象的な映像世界が、この地で紡がれてきた長く豊かな、そしていままさに失われているかもしれない営みを強調する。
国とアイデンティティ、交差する時代と場所
2階へと進み、最初の展示室で壁一面に並ぶモノクロの写真は、キリ・ダレナの《Erased Slogan》。街頭デモの模様を写した写真のようだが、よく見るとどの写真もプラカードの文字だけが真っ白に消されている。本作は作家が2008年から取り組む、戒厳令によって1970年代に閉鎖されたフィリピンの新聞マニラ・クロニクルのアーカイヴを用いたプロジェクトで、主張が書かれた文字だけを消すことによって当時起こった弾圧を象徴的に再演しようという試みだ。キュレーターのマーヴ・エスピナは、2022年に中国で起きた「白紙運動」とも共鳴する作品だと話す。 イギリス生まれのタオ・レイ・ゴフは、ジャマイカとニューヨークから香港と深圳に戻った自身の祖父と曽祖父の旅路に光を当て、新作映像作品《Black Pacific, Chinese Atlantic》を発表。家族にまつわる個人的な記録映像とイギリスの植民地支配に関する歴史的なドキュメントが2つのスクリーンで交差し、アフロ・チャイニーズのディアスポラによる帰還の物語を描き出す。またナム・ファヨンの映像作品《2》では、韓国のチェ・スンヒ(1911~1969)、台湾のツァイ・ジュイユエ(1921~2005)という2人の女性舞踏家を現代のソウルと台北から見つめ、2人の生きた過去をいまに浮かび上がらせる。 この展示室で存在感を放っていたのが、韓国のソン・イェファンによる《(Whose) World (How) Wide Web》。パソコンの内部を思わせる複数のスクリーンと韓国語仕様の巨大なキーボードを模した造形などで構成されるこの作品では、非英語圏ユーザーの視点から西洋のテック企業が作り出す英語主導のオンライン環境に批判的な視線を投げかける。アルメニアのアーティスト、マシンカ・フィルンツ・ハコピアンも、南西アジア・北アフリカ地域で行われるタッセオグラフィーを学習させたAIを用いた作品などで同様のテーマを追求する。 本展で複数の作品を発表している丹羽良徳は、ひまわり学生運動直後、台北の路上で偶然出会った100人以上の人に「私が死ねば、台湾も消滅する」とカメラに向かって宣言してもらう様を映した2014年の映像作品を、今回の展示のために台中で新たに制作。映像内では、美術館のある台中の路上で出会った人々が次々に映り、「私が死ねば、台湾も消滅する」というフレーズを繰り返す。国家を定義するものはそこに生きる人々なのか、何が国家を存続させるのか。2024年の台中に生きる多様な人々が口にする宣言は、普遍的な問いを見る者に突きつける。