朝鮮人労働者の追悼碑、県が撤去した根拠は「後出し」だった? 議会も「全会一致」で採択したはずが…13年後に態度が一変
▽友好ムードから緊張へ、保守系団体の影響力拡大? では、追悼式で「強制連行」という言葉を出したことは「政治的」なのだろうか。 先に書いた通り、「政治的行事」に該当する行為について、群馬県と市民団体の間で具体的な説明や取り決めはなかった。守る会は「強制連行」発言が問題視される認識もなかったという。県は最近の取材に対し「抗議や街宣活動が起こったこと自体が、式を政治的と推認させるもの」と答えた。 事情に詳しい野党系の群馬県議はこう解説する。「碑を建立する請願が議会で可決された2000年代初めは、日韓日朝が友好ムードにあった」。群馬県出身の小渕恵三元首相(故人)も1998年の日韓共同宣言で、日本による朝鮮の植民地支配について「痛切な反省と心からのおわび」を表明した。これを受け、地元でも碑の設置に前向きな声が多かったという。 しかしその後、「北朝鮮のミサイル開発や拉致問題の停滞から緊張感が高まり、安倍政権下で一部排外主義的な勢力が発言力を増したことが、少なからず碑の存在にも影響した」。県議は撤去の背景を振り返る。「群馬でも行政や自民党の中心県議が、碑への抗議を無視できない立場になってしまった」。実際、碑の設置許可取り消しを求める請願が提出された際の紹介議員は、碑の建立請願が採択された保健福祉常任委員会の委員長(当時)で、自民党の中心人物だった。
山本一太知事は行政代執行を控えた今年1月25日の記者会見で、「日韓、日朝関係を深める」と碑を評価した一方で、こうも主張した。「存在自体が論争の対象になってしまい、公益に反する」。最高裁判所の決定で判決が確定していることを繰り返し強調し、撤去の姿勢を崩さなかった。「碑文自体に問題があるとは思っていない。ルールに違反する行為が行われたことが問題で、撤去は歴史認識をねじ曲げることにはつながっていない」。反日的だ、との指摘については「私はそういう考えは持っていない」と説明したが、自らの歴史認識については「日本政府の立場と同じ」として明確にしなかった。 これに対し、守る会の藤井保仁事務局長(75)は「碑の価値を認めながら撤去するのは、行政が加害の歴史継承を軽視した結果だ」と反論する。「他の自治体にある碑や説明文の撤去につながるかもしれない」と危惧した。 記者は街宣活動を展開した「日本女性の会そよ風」にも取材を申し込んだが、返事はなかった。そよ風側はブログに「取材はお断りする」との記事を掲載した。