朝鮮人労働者の追悼碑、県が撤去した根拠は「後出し」だった? 議会も「全会一致」で採択したはずが…13年後に態度が一変
碑の管理は設置団体の後継となる「『記憶 反省 そして友好』の追悼碑を守る会」が担った。建立以降は2012年まで毎年、朝鮮人労働者の追悼式を碑前で開いてきた。 ▽保守系団体の抗議と県の態度変化 変化が起きたのは、保守系団体「日本女性の会そよ風」などが「碑文が反日的」などとして街宣活動を行った2012年以降だ。群馬県には抗議の電話やメールが相次いで寄せられ、守る会は、翌年から式を別の場所で実施した。 守る会によると、2014年には設置許可の取り消しを求める請願を保守系団体などが群馬県議会に提出。賛成多数で採択された。群馬県はほどなくして、設置許可を更新せず、不許可に。2005、06、12年に開かれた追悼式で参加者が「強制連行の事実を訴え、正しい歴史認識を持てるようにしたい」と発言したことなどを問題視し、政治的行事に当たると判断した。 これに対して守る会は、追悼碑の敷地部分を買い取ることや、追悼式の自粛などの代替案を示したが、群馬県側はこれを拒否。公園外への移設を求めた。2014年、守る会は訴訟に踏み切った。群馬県の対応は表現の自由を侵害し違憲だとして、「許可の不更新という県の処分」の取り消しを求めたのだ。
2018年、前橋地方裁判所の判決では原告側が勝訴した。裁判所は、追悼式を政治的行事と位置付けた一方、追悼式によって具体的な支障は生じておらず、違反があってもオープンスペースとしての公園の効用は失われなかったと指摘。「処分は裁量権を逸脱しており違法」と判断した。 しかし、2021年の東京高等裁判所の判決は県の不許可処分を適法とし、守る会側が逆転敗訴した。最高裁判所は2022年、守る会側の上告を受理しない決定をし、守る会側敗訴の判決が確定した。 その後、群馬県と守る会は碑の扱いについて話し合いの場を持った。群馬県は、人気のない河川敷や山中を碑の移転場所として提案した。守る会は人目に触れなければ碑の意義を失うとして承諾せず、存続や移転で合意できなかった。 県は2023年4月、都市公園法に基づく原状回復として守る会に撤去を命令。守る会側が応じなかったため今年1月29日から行政が代わりに撤去する「行政代執行」で工事を始め、2月2日に完了した。碑やその土台は撤去され、碑文などが記された金属プレートは守る会に返却された。費用は守る会に請求する。