誰もが安心できる学校に 「インクルーシブ教育」と「国立市教委の取り組み」を東大・小国教授に聞く
文科省が考える「インクルーシブ教育システム」との違い
国連・障害者権利委員会は、日本では障害のある児童への「分離特別教育」が制度化されていることを問題視した。そして、分離特別教育を終わらせることを目的として、インクルーシブ教育実現に関する国家の行動計画を策定することを日本政府に要請した。 これに対し、文部科学省は「小・中学校における通常の学級、通級による指導、特別支援学級、特別支援学校といった、連続性のある『多様な学びの場』を用意しておくことが、インクルーシブ教育システムにおいて必要だ」という立場を崩していない。 しかし、この文科省の考え方は、「障害の有無を問わずあらゆる可能性のある児童・生徒が同じ教室で一緒に学ぶことである。このことは、誰もが一緒に学びながら、個別のニーズを満たすことができる教育制度を構築することが含まれる」という障害者権利条約の中で説明されるインクルーシブ教育とは大きく異なる。 ――今回の協定では、単に「インクルーシブ教育」とするのではなく「フルインクルーシブ教育」として、敢えて「フル」という言葉を頭につけています。これには何か意味があるのでしょうか。 「なぜフルインクルーシブ教育という言葉なのか。これは私なりの解釈なのですが、やはり文科省が考える特別支援学校や特別支援学級を含む『インクルーシブ教育システム』とは違うのだ、ということを明確に打ち出す必要があるということだと思っています。『すべての子どもがすべての時間、普通学校の普通学級で安心してともに学ぶことを権利として保障する』という原則を明確にしないと、文科省の『障害種別と障害の程度に応じた学ぶ場を連続的に作っていく』みたいな話に絡め取られてしまいかねない。本来は、普通学級を改革し、すべての子どもたちが安心して学べる場を作っていく運動をしていくことが大切なのです」 ――国立市とはどのような形でこれから関わっていくのでしょうか。これまでにバリアフリー教育開発研究センターが蓄積した知見などを活用するという話ですが。 「センターでは、これまでに障害の社会モデルを子どもたちが理解するための教材プログラムを開発してきました。これを教員が学び、子どもたちに教えるときに活用するのですが、その過程で、結果的に教員が障害の社会モデルを学ぶことになります。そのことによって、学校を社会モデルに転換していく。そんな取り組みを国立市でもたとえばできないだろうか、と考えています」 「ただ、基本的には、国立市が中心となって行うもので、私たちはこれをサポートしていく立場。こちら側からこうしなければいけないということは全くありません。検討会議のようなものを立ち上げたいということのようで、その中でいろいろと議論をしていくことになると思います」