「切り抜き動画」に対抗できないと、この先は生き残れない――23歳差の佐久間宣行とコムドット・やまとが語る「葛藤」
20代だった劇団ひとり、おぎやはぎらと一緒に大きくなろうと
今度はやまとが佐久間の「絶望と闘っていた」時代について聞いた。 佐久間:入社当初はハラスメントの嵐で(苦笑)。ADはディレクターの言うことを全部聞かなければいけない“兵隊”扱いで、入社して最初は深夜ドラマの制作についたら、いきなり5日間帰れないという状態。納得できないと次の仕事に向かえないタイプだったので意見を言うと、ディレクターに「口答えするな」と叱られる。この世界に向いていないなと絶望していました。 やまと:なるほど(苦笑)。 佐久間:入社3年目のころ、当時あふれていた“感動的”な番組作りに僕は「泣けばなんでもいいのかよ!」と違和感を覚えて(笑)、あらゆる手を使って泣いた人が勝者となるバラエティーを考えて。それで番組がATP(全日本テレビ番組製作社連盟)新人賞を獲得したんですよ。そこからいろいろ任せられるようになり、「この世界で生きていけるかも」と思い始めるんです。
風向きが変わりつつある中、佐久間の代名詞とも言える番組『ゴッドタン』へつながる、大きな転機が訪れる。 佐久間:周りがみんな、売れている人との企画ばかり書いていて。ペーペーの僕がその土俵で戦っても勝てないので、まだ売れてないけれど実力のある芸人たちと一緒に僕も大きくなろうと、関東の若手芸人の企画書をたくさん書いたんですね。その企画のネタ見せにやってきたのが、まだ20代だった劇団ひとり、おぎやはぎ。そのつながりで、バナナマン、東京03やバカリズムなども出会いました。彼らを見た時、「今あふれている形とは別のお笑いが作れるな。彼らのような人たちと仕事したい! するしかない!!」と思いついたのが、人生の大きな転機でした。 やまと:スゲー! 今のポジションは、完全に実力でつかみ取ったものですね。 佐久間:そんなこと言われたらメチャクチャうれしい(笑)。この時に自分のやりたいと思ったことを突き詰められたから、僕はいまだにディレクターをやれていると思う。