発達検査でHSC(人一倍敏感な子)と診断された娘…学校のサポートが不登校の原因になる理由
「行事は毎回つらい」娘を見て思うこと
母の予感は的中した。 「ママ、学校行きたくない」 長女リコちゃんにそう言われたマキさんは、驚くより先に「やっぱりな」と思ったという。小学1年生のゴールデンウイーク明けのことだ。 「入学してから順調に通っていたかと思っていたら、突然不登校になりました。学校の先生からは『あるあるです』と言われ、池添先生からは『4月は頑張って学校に行ってたんやな』と言われました」 リコちゃんは保育園のころから、運動や発表会など人前に出ることがまったくできなかった。2~3歳の頃からマンションの階段を登っては降り、登っては降りを繰り返し、保育園から5分で帰れるところ1~2時間かけて帰った。3歳児健診で臨床心理士から「検査上は問題ありません。グレーと思うんやったら、グレーと思って育ててください」と言われ、突き放されたように感じた。 卒園式も出られず、保護者席で娘と一緒に式を見守った。いたたまれなくなったのかリコちゃんは何度も帰ろうとしたが、懸命になだめて最後まで参列した。最後に行う集合写真の撮影も嫌がり入れなかった。 「行事は毎回つらかったです。他の親御さんたちがわが子の成長を喜ぶ一方で、私は娘が参加できない事実を突きつけられるだけですから。娘には『出なくても大丈夫だよ』と伝えて、保育園からは練習の様子をビデオで見せていただきましたが複雑な気持ちでした」
「休んでいいよって言ってあげて」
そんな母子にとって唯一の救いは、在園中に出会った池添さんの存在だった。5歳の年に巡回相談で「自閉症スペクトラムの特性を強く持っている」と言われた。以来、リコちゃんは池添さんが代表を務める福祉広場(通称ひろば)の療育に通い、マキさんも保護者グループの集まりに足を運んだ。共通の悩みがあれば「うちも同じ!」と共有し、日々抱くいろいろな思いを吐き出すよい機会になった。 保育園時代のこともあって娘の不登校は覚悟していた。ところが、翌日も、その次の日も、翌週になっても、娘は学校に行こうとしなかった。 もうそろそろ行ってほしい。 このまま学校に行けへんのかな。 親としてプレッシャーを感じたマキさんは「学校、行かへんの? そろそろ行ったら?」と声をかけた。登校のきっかけになるのではと「もうみんな朝顔の種まきしたらしいよ」などと言って登校を促した。しかし思うようにいかず、池添さんに相談した。 ――子どもはな、定休日つくりはるからな。自分で「今日はお休み」って決めるんよ。だから、そうかぁ、それやったら休めばいいよって言ってあげて―― その言葉に従うかたちで、マキさんは登校を促すのを辞め「休んでいいよ」と伝えるようにした。一方で、「もっと早くに担任の先生と面談しておけば良かった」と後悔した。校長とは就学前健診や入学式前日などに娘の特性と対応について伝えていたが、担任と直接話をしていなかった。個人懇談会がゴールデンウイーク明けに設定されていたため、その時に話せばいいと考えたのだ。