「学校でも社会でも、親からも褒められてこなかった子が多いです」――日本初の少年院「国際科」で学ぶ、外国ルーツの子どもたち
とはいえ、この社会で言語がわからず、寄る辺のない少年たちはまだまだ残されている。 古くは中国残留孤児の子どもたちの一部がマフィア化し、90年代はおもに工場労働者としてやってきた日系ブラジル人の子どもたちにも非行に走るケースが見られた。どちらも不十分な教育が一因とされる。同じようなことが、次の世代の「移民」たちの間でも表面化してこないとは限らない。そのとき、「国際科」の役割はさらに大きなものになるだろう。
漢字がびっしり書き込まれた自習ノート
「日本語そのものを教える授業はないんですよ」 屋代さんは言う。文法や単語といった、いわゆる語学に特化した時間は、現場の教官たちの試行錯誤の結果、とりやめたそうだ。それよりもふだんの生活指導や基礎学力を養う教科指導の中で在院者たちと接し、会話を重ねながら、言葉の間違いを指摘していく。 そのほうが効率的に言葉が身につくのだというが、単語や言い回しを覚えてどんどん引き出しを大きくしていく授業も必要なのではないだろうか。 「そこは、自分たちで自習しているんです」
これも意外なことだったが、余暇の時間も彼らはひたすらに日本語の勉強に取り組んでいるのだという。今後の人生で日本語がどれだけ大切か、身に染みてわかっているのだろう。だがそれ以上に、必死になる理由がある。 「褒められたいんですよ」 屋代さんはつぶやく。 「彼らはこれまで、学校でも社会でも、親からも褒められてこなかった子ばかりです。少なくとも、日本人には褒められたことがないんです。だから評価がほしい」 教官たちに褒められ、認められることがモチベーションになっているのだ。
そんな「自習ノート」を、在院者のひとりが見せてくれた。漢字や熟語、それを使った例文などがびっしりと書き込まれている。日課なのだという。彼は入院時、日本語での会話は可能だったが漢字の読み書きがまったくできなかったそうだ。それが1年ほどたったいま、かなりしっかりした文章を書けるようになっている。 「はじめはサボっていたんです」 彼は言う。 「でも、先生が本当にいろんなことを教えてくれます。ときどき厳しいけれど」 自分に熱心になってくれる日本人がいる。その気持ちに動かされるように自習を始めて、半年足らずでノートは3冊目だ。 教官に認めてもらいたいと、ノートに漢字を書き込んでいる姿を見ていると「育て直し」という言葉が思い浮かぶ。