【訃報】メルセデス・ベンツのスタイリング名匠 ブルーノ・サッコ氏が逝去
世界的に有名なメルセデス・ベンツのスタイリング名匠 ブルーノ・サッコ氏が2024年9月19日にジンデルフィンゲンで90歳の生涯を閉じた。
ドイツ国籍でイタリア生まれのブルーノ・サッコ氏(Bruno Sacco)は1958年から1999年までメルセデス・ベンツで活躍した「世界的にも有名なカーデザイナー」。しかも、1975年から1999年までの長期に亘り、「メルセデス・ベンツのスタイリング・デザイン部長」を務めた。
既存のジンデルフィンゲンのデザインセンター以外に新たにロサンゼルス、横浜(1993年当時)、イタリアのコモに3つの先行デザインセンターを立ち上げたのもブルーノ・サッコ氏だ。何故、ブルーノ・サッコ氏が3つの先行デザインセンターを立ち上げたかといえば、まずあらゆる文化を統合させ、選択肢を増やすことから始め、その結果、可能な限り最高のデザインを創造することである。そして、環境こそが独特なクルマ文化を育くみ、クルマのトレンドをリサーチするには格好の地域であるからといえる。 特筆は1990年代のメルセデス・ベンツには「サッコ・プレート」と呼ばれるボディサイドの下部を覆うサイドプロテクトパネルが取り付けられており、その名の通り、彼の手によるデザインとしてあまりにも有名だ。
ブルーノ・サッコの生い立ち
●1933年11月12日にイタリア・フリウリ=ヴェネツィア・ジュリア州のウーディネでイタリア陸軍山岳部隊仕官の父オッタビオ(Ottavio Sacco)とオーストリア人の母マルゲリータ(Margherita Martinz)の間に生まれる。子供時代は父親の転勤の為、各地を転々とする。 ●1951年のトリノ・モーターショーで見たレイモンド・ローウィが、デザインしたスチュードベーカーの車に深い感銘を受ける。 ●1952年にトリノにあるトリノ工科大学に入学する。 ●1955年に実習生としてカロッツェリア・ギアに入る。この期間にセルジオ・ピニンファリーナ(Sergio Pininfarina)と出会う。 ●1957年にトリノ駐在ドイツ領事の計らいで、ダイムラー・ベンツ社のデザイン部門の責任者であるオーストリア人のカール・ヴィルフェルト(Karl Wilfert)との面接を受け、1958年にダイムラー・ベンツ社への採用が決まる。 ●1958年にダイムラー・ベンツ社でフリードリッヒ・ガイガー(Friedrich Geiger)のデザイン・スタジオで2人目のスタイリング・デザイナーとなる(参考までに一人目はポール・ブラックである)。 ●1963年にこのデザイン・スタジオを離れ、ベラ・バレニ-(Bela Barenyi)の先端安全技術研究部門に移籍する。 ●1968年にデザイン・スタジオに戻り、数種の安全実験車・ESFを手掛ける。ドイツ語ではExperimental Sicherheit Fahrzeugとなり、日本語では安全実験車の意味。英語ではESV(Experimental Safety Vehicle)と呼んでいる。 ●1974年にチーフエンジニアとなり、フリードリッヒ・ガイガーの後を引き継いでデザイン・スタジオの責任者となる。 ●1999年に引退し、後任にはペーター・ファイファー(Perter Pfeiffer)。