厳密な意味での「無限」の考えを数学に持ち込んだ天才・カントール。その天才の発想と非業の生涯とは
クロネッカーのデルタとカントールの死
クロネッカーは決して馬鹿ではなかった。それこそ、「クロネッカーのデルタ」といえば、物理学でも頻繁にお世話になる関数だ。記号では「ab」(デルタab:デルタはギリシア文字、abは下付き)。 この関数はaとbが等しいときは「1」という値をとり、等しくないときは「0」になる。相対性理論の計算にもよく出てくる。理数系の学問をやっていてクロネッカーの名を知らぬ者はいない。 クロネッカーは他にもさまざまな業績を残しており、大数学者といっていい。しかし、彼には、次世代の数学者であるカントールの考えは全く理解できなかった。実をいえば、数学に限らず、それまでの学問の常識を覆すような大発見の場合、同世代の碩学(せきがく)たちが拒絶反応を示すことはめずらしくない。 アインシュタインの相対性理論の場合も、ノーベル賞物理学者のレーナルトが「相対性理論はまちがっている」と主張し続けたし、量子力学の黎明期(れいめいき)にも古典力学の大家たちからの反対はすさまじかった。 革命的な相対性理論を創始したアインシュタインでさえ、確率が支配する量子力学については「神はサイコロ遊びをしない」と言って、生涯、認めようとしなかった。 逆に言えば、カントールの無限に関する洞察は、数学に「革命」をもたらすほど鋭かったから、当時の大家たちの反発を招いたのだ。 もちろん、今だからこそ、こうやって客観的に当時の状況を分析することができるのであり、カントール自身は、「これだけ大家たちがまちがっている、と騒ぐのだから、本当に自分は頭がおかしいのかもしれない」という不安にかられ続けていた。 数学者という、真理を追究する人種にとって、自分の打ち立てた理論が完全にまちがっている、というのは、耐えがたい屈辱であり、精神的な拷問といっていい。 数学革命を起こしたカントールは、ハレ大学で教鞭をとっていたが、決して、最高峰のベルリン大学に呼ばれることはなかった。 カントールは次第に精神を病み、最期はハレのサナトリウム(長期療養所)で亡くなった。精神を病んだ一因は、クロネッカーによる執拗な人格攻撃だったともいわれるが、さだかではない。