硫黄島で「遺骨収集ボランティア」に参加した新聞記者が見た<首なし兵士>の衝撃。「大腿骨を持ったときのずしりとした感覚がしばらく消えなかった」
◆兵士は今なお戦っている 親族の葬儀で、焼かれた人骨を見たことは幾度かある。箸を使って骨上げした経験もある。 しかし、焼かれる前の人骨と接したのは、この「首なし兵士」が人生で初めてだった。 散らばっていた歯の長さにまず驚いた。焼く前の歯はこんなにも長いのかと。 この兵士の亡きがらを見る限り、指など小さな骨は土に還る寸前になっていると感じた。 一方で、腕や足など太い部位は原形を保っていた。 大腿骨を持った際のずしりとした感覚は、しばらく僕の手から消えなかった。 兵士はまだ戦っているのだ。僕は強くそう思った。 故郷に帰るため、風化と戦っているのだ。
◆本土へ帰る 見つかった遺骨は、白い布の上に置かれた。 その日の作業終了時間になると、白い袋に骨を移して「捧持(ほうじ)」した。捧持とは「ささげて持つ」という意味だ。 遺骨収集団では、遺骨を現場から、宿舎内の仮安置室に移動させることを指した。 例えば、3体の遺骨が見つかった日は、収集団の中から、捧持する3人が選ばれた。 優先されたのは、遺族だった。3人は遺骨の入った白い袋を胸の前で抱え、ほかの団員と一緒に宿舎に帰るマイクロバスに乗り込む。 捧持の際は私語を禁じられた。なぜなのか。 「葬儀場から火葬場に向かうバスでも私語は慎むでしょう。それと同じですよ」 と、経験豊富な団員が教えてくれた。 ここでは、毎日がお葬式なのだ。 硫黄島は、活発な火山活動による隆起で、島のあちこちがでこぼこになっていた。舗装工事が追いつかないのだ。だから、マイクロバスはとても揺れた。 終戦から七十余年を経て純白の袋に納まった遺骨は、走るバスの振動を受けてコトコトと揺れ続けた。 やっと本土に帰れると喜んでいるようだと、僕の目には見えた。 ※本稿は、『硫黄島上陸 友軍ハ地下ニ在リ』(講談社)の一部を再編集したものです。
酒井聡平