金沢21世紀美術館「開館20周年記念 すべてのものとダンスを踊って―共感のエコロジー」レポート。分断や差異ではなく共感から未来のヒューマニティを探る
物質(マテリアル)の魅力
会場入口にはステートメントに加え、本展のコンセプトやキーワードの相関関係を示した概念図(ダイヤグラム)が掲示されている。 そのなかに示された「物質の魔術」「物質の転移」というキーワードを強く体感させる作品から本展はスタート。エヴァ・ジョスパンは厚紙や段ボールを丹念に彫刻し、巨大な森や庭園を創造していくスタイルで知られる作家。木材から作られたダンボールが、作品の中でまた木や森へと還っていく手法は迷宮のような複雑さやマテリアルの流動性を感じさせる。近寄ってみたり離れてみたりすることで、ある部分が根っこに見えたり洞穴に見えたり超巨大な森に見えたりと、その空間的な深度に飲み込まれていくような感覚を覚える。 ナイジェリア出身のオトボン・ンカンガは大地と海の絡み合いを描いた出品作の4点の大規模なタペストリーを出品。海の風景にはいわゆる自然物のみならず、人間の仕掛けた網やゴミなども見える。そして赤いトーンの1点《見出された陽光(Unearthed – Sunlight)》は美しく祝祭的な雰囲気もあるが、じつは森林火災後の森を描いている。浮かぶ小さな玉は精霊のような存在で、この森を治癒し、再生を予感させるよう。
能登半島地震を経て
自然災害といえば、今年1月に起きた能登半島地震のことを避けては通れないだろう。金沢21世紀美術館も、天井ガラス板が一部落下するといった被害を受けた。被災後の早い時期に美術館を訪れ、こうした天井の状態を目の当たりにしたアドリアン・ビシャル・ロハスは、凄まじいスケールの作品を巨大な展示室全体を使って展示することで、この震災という大地の変化とその後を生きる人々に応えた。 ガラス板が撤去された天井を覆うのは、15世紀イタリアの画家ピエロ・デ・ラ・フ ランチェスカの絵画「出産の聖母」を超巨大に拡大した複製画。元々オーストリアのクンストハウスブレゲンスの床に展示され、人々がその上を歩くことによって多くの傷がついている本作《消失のシアター》は、穴が開くことも厭わずに今回作家が天井への設置を決めたという。腹部に置かれた手は新しい生命の誕生とその先の希望を感じさ、震災による傷に治癒と癒しを与えるかのようだ。 その下の巨大な構造物《想像力の果て》は、作家が数千年にわたるタイムスパンで、環境から社会現象まであらゆる状況をシミュレートするタイムエンジンというアプリを用いて作ったバーチャル彫刻を、物質彫刻としてダウンロードしたもの。マシンエンジニアリングと手作業が組み合わさった有機的な生き物のような本作は、金属、コンクリート、土、ガラス、廃車部品などが混淆するマテリアルの存在感にただただ圧倒される。この立体は、展示室奥側から見るのが正面となる。立体の下部のあるポイントから上を見ると、絡まり合う物質の間にある隙間から、厳かな表情をたたえた聖母マリアの顔がのぞく。 Rediscover projectは石川県の伝統工芸に携わる職人や窯元、製造元等が集い、多様性を再発見することを目的に結成、奥山純一が主催するCACLを中心として作られたプロジェクトだ。展示されている作品は、能登半島地震で破損した九谷焼と珠洲焼の陶磁器片をもとに、金継ぎなど輪島塗の技法で新たな造形物に変えた作品。金継ぎによって修復するのではなく、「新しいものにどう作り変えるか、新たなクリエーションを作り出す」(本橋仁)ことに重点が置かれている。 発端には震災によって輪島の漆職人たちが、九谷焼の産地である能美市に2次避難したということがある。仕事場から離れて暮らすことで職人としての腕が衰えてしまわぬよう、本プロジェクトによって新たな仕事を提供。結果的に普段は職域の違いから出会うことがない漆職人と九谷焼の職人の両者が出会うことになった。 動物や植物とともに 「自然×ヒト」のキーワードを象徴する作品としては、たとえばビーバーの齧った木とそれを3倍スケールにした彫刻から構成されるAKI INOMATA《彫刻のつくりかた》(2018~23、ongoing)、マリア・フェルナンダ・カルドーゾがクモ学者や顕微鏡医らの協力を得て、ジャンピングスパイダーを撮影した《On the Origins of Art I-II》(2016)などがある。 アマゾン地域に住む先住民の芸術家たちによる、複雑な生態系との共生関係から生まれてきた絵画作品には、人間と動物、そして精霊たちがともに存在する。先住民の文化には「自然」という言葉がなく、すべてが「人間」であると考えられるという。こうしたマルチヒューマニティ、独自の宇宙観が表現されている。2021年に亡くなったジャイダ・イズベルはアーティスト、キュレーター、アクティヴィストで、「Artivism(アーティヴィズム)」と呼ぶ活動を行ってきた重要な存在。ミクロとマクロが混ざり合う世界が凝縮された作品は必見だ。 1944年に石川県に生まれ、同地在住の華道家である道念邦子は、古流の家元での稽古を経て、1970 年代より前衛的な花仕事の発表を行ってきた。今回が美術館での初展示だといい、こうした重要な地元作家の「発見」も、本展のハイライトだと言えるだろう。展示作品《孟宗竹 キューブ》は1988年に尾山神社の階段で行われたサイトスペシフィックなインスタレーションの再制作。「竹藪のなかにも秩序がある。最初は竹は硬くて手に負えないと思ったが、時間をかけて付き合っていくうちに竹を使いたくなった」と道念は当時を振り返る。切り出した竹を高さに沿って分断しキューブ状にまとめた本作には、自然の形の秩序を近代彫刻の幾何学的フォルムへと転化した、シンプルで洗練された作品だ。 植物神経生物学の専門家でフィレンツェ大学教授であるステファノ・マンクーゾは、「植物は生きる力を持った知的生命体」であるという。その著書によると、地球上の全生物量のうち、植物は99.5%以上を占めている。それにもかかわらず、人間は植物に対して盲目的なのだそうだ。たとえば植物や動物が一緒に写っている写真を見たとき、人は動物については細部まで認識し思い出せるのに、そこにあった植物については曖昧になるという。そんな植物の存在を可視化させることに情熱を燃やすマンクーゾは、レオナルド・ダ・ヴィンチのモノタイプからインスピレーションを得て、2019年から植物の姿を写しとるモノタイプのシリーズの制作を開始。近隣の庭に自生する植物を朝に採取し、新鮮なうちに紙の上に配置してプレスしている。 またマンクーゾは、自らが率いる研究所で実証された実験結果をデザイナーと植物科学者のシンクタンクであるPNATとともに実用化してきた。今回は金沢市内の神明宮に生きる樹齢約1000年の大ケヤキの生体信号を受信し、展示室内のモニターに映像で表現するインスタレーション《Talking God(神と話す)》を発表した。 コ・キュレーターのエマヌエーレ・コッチャは、『植物の生の哲学 混合の形而上学』(勁草書房、 2019)、『メタモルフォーゼの哲学』(勁草書房、2023)など独自の生命哲学で注目を浴びている哲学者。本展の会見で、今回のキュレーションについて以下のように語った。 「世界でも有数の美しさを誇るこの美術館ですが、建築のコアにあるコンセプトを、よりラディカルにとらえて直してみようと考えました。そのコンセプトというのは、群島のように街のなかのものや文化など様々な要素が、ひとつの美術館を構成しているというものです。私はそこで、人間の文化だけでなく、あらゆる生物、自然界に存在するものたちがこの群島のなかに集まってくるような展覧会を考えたいと思いました。そのためにはメトロポリタンなスペースをいかにメトロナチュラルにするか。自然やアートをとらえ直す必要がありました。世界のあらゆる文化は独自の方法で深く自然と関わっており、そこへのアクセスの方法をすでに見つけています。アートはシャーマンのような媒介者として、そのアクセスの方法をひとつの作品におろしてくるものだと考えました。またミュージアムについてもとらえ直す必要があります。百科事典、博覧会のようにアートや文化を見せるだけでなく、私たち自身がこの地球という惑星にどのように存在し関わっているかを考えられる場であるべきだと考えました」 「気候変動」「地球環境」というと、その言葉が含有する範囲や問題の大きさに、ひとりの人間がいったい何ができるのかと、無力さを感じてしまうかもしれない。そんなとき、「まずはダンスしてみよう」と誘う本展は、こうしたテーマについて自分の身体と感覚から出発し、その周囲へと広げながら主体的に関わることを教えてくれる。 Tokyo Art Beatでは長谷川祐子館長のインタビューも後日公開予定。こちらもお楽しみに。
福島夏子(編集部)