病院嫌いの養老孟司が<抗がん剤治療>を決断した理由。「治療に関して私は原則を決めている。自分で医者を選び、そのあとは…」
2020年に心筋梗塞を患った解剖学者・養老孟司先生は、2024年5月に「小細胞肺がん」と診断されました。養老先生の教え子で、自らも膀胱がんを経験した東大病院放射線科医師・中川恵一先生や、娘の暁花さんとともにがんと闘っています。そこで今回は『養老先生、がんになる』から一部を抜粋し、養老先生の治療に対する考え方についてお届けします。 【写真】生検を受けている養老先生。ほとんど痛みはないという * * * * * * * ◆小細胞肺がんの診断がついた 生検(組織を取って調べる検査のこと)の結果、小細胞肺がんの診断がつきました。小細胞肺がんは転移しやすいがんですが、今のところ転移はしていないと言われました。 転移を防ぐことが重要なので、小細胞肺がんの標準治療は抗がん剤(化学療法)です。抗がん剤の点滴を3日間続け、3週間あけてまた3日間抗がん剤の点滴をします。これを全部で4回行います。 抗がん剤の点滴は3日間ですが、前後にいろんな検査があるので、抗がん剤治療のたびに1週間くらい入院することになりました。 中川さんは最初、僕が抗がん剤を拒否するのではないかと考えていたようです。というのは、『がんから始まる生き方』(中川恵一、柏木博との共著)の中で、もしも自分ががんになったとしたら、「化学療法、つまり抗がん剤も、ストレスが強ければやらないと思います」と述べているからです。 だから、中川さんからは、抗がん剤を1回やってみて、副作用がつらかったら、そこでやめてもよいと言われました。抗がん剤の副作用は個人差があるので、1回やってみて、それほどつらくなかったら、続ければよいと言うのです。僕はそれに従うことにしました。
◆治療に関する原則 『がんから始まる生き方』で、僕はこうも述べています。「自分の治療に関して、私は原則を決めていまして、原則に従います。まず、最初に医者を選ぶ。そして、選んだあとは文句を言わない。これが原則です。」 医者はすでに中川さんを選んでいます。ということは、東大病院の先生たちを選んでいることになります。その先生方の治療方針には従いますし、文句を言うこともありません。 よく言っていることですが、いったん医療システムに巻き込まれてしまった以上、もはや引き返すことはできません。 直腸ポリープの切除やら、生検やらで、すでに1週間以上入院していますが、抗がん剤は早く始めたほうがよいというので、退院せずに、そのまま抗がん剤治療に突入することになりました。入院がさらに長引くことになったわけです。 世の中に病院が好きな人はいるのでしょうか? 少なくとも、僕は嫌いです。病院は監獄や学校のようなところですから、自由がありません。 もちろん、医師は患者さんのためを思って管理しているのですから、入院してしまったら、文句を言ってもしょうがありません。そもそも、先に「文句は言わない」と宣言しているのですから、不満があったとしても、辛抱するしかないのです。
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