「1週間、酒も競輪も誘わないでくれ」“元天才少年”が谷川浩司19歳との初対局前に…「医者はいつ死んでも、と」芹沢博文51歳の太く短い人生
終局後「医者はいつ死んでもおかしくないと。でも…」
1986年7月、私こと田丸七段はある公式戦で芹沢九段と対局した。芹沢は終局後に「医者はいつ死んでもおかしくない状態と言うんだ。しかし今もこうして生きている。もしかすると死ぬにも体力がいるのかもしれないな」と、土色に化した表情で語った。 芹沢の容態が次第に悪化したとき、和子夫人に本心を語ったという。 「太陽と死は見つめるなかれで、死に対して考えすぎないことにしている。あと2年は現役でいたい。引退すると発言力がなくなるからで、将棋連盟のためにやるべきことがもっとある」 やがて昏睡状態に陥った。 1987年12月9日、芹沢は東京・目黒区の入院先の病院で肝不全のために51歳で死去した。 告別式は11日に港区の寺院で執り行われ、弟弟子の中原名人が葬儀委員長を務めた。生前に兄貴分と慕っていた米長邦雄九段が涙声で弔辞を読んだ。 芹沢は辛口意見と毒舌で関係者とトラブルを引き起こすこともあったが、将棋界の在り方をいつも真剣に考えていた。将棋界や棋士の存在をメディアを通して、世間にアピールした貢献はとても大きかったと思う。 〈第1回、第2回からつづく〉
(「将棋PRESS」田丸昇 = 文)
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