「1週間、酒も競輪も誘わないでくれ」“元天才少年”が谷川浩司19歳との初対局前に…「医者はいつ死んでも、と」芹沢博文51歳の太く短い人生
目白御殿に招かれて政界進出を持ちかけられたことも
そんな時期に中原名人、芹沢八段、田中寅彦三段らの高柳一門の棋士が、東京・目白の田中邸をよく訪れて無聊気味の田中に将棋を指導した。中でも才気煥発な芹沢は、田中に大いに気に入られた。 こんなエピソードがある。 目白御殿と呼ばれた田中邸の池は、高価な錦鯉で知られていた。ある日、芹沢がのぞいてみると一匹もいない。「どうしたのですか」と聞くと、田中は「鯉は土地が変わると色がさめるので田舎に帰した」と答えた。すかさず芹沢が「恋(鯉)もいつかさめる」と当意即妙に応じると、田中に「先生、それはいい」と誉められたという。 芹沢の話によると、田中の将棋は攻めっ気が強くて中飛車を好んだ。棋力は初段ぐらい。ただ本人は3級か4級と思い込んでいて、こんな風に真顔で言われたこともあるという。 「実力初段にしてくれたら、たいていのことは聞く」 じつは芹沢は、田中から政界への進出を持ちかけられたことがあった。参議院・全国区から出馬する話で、田中の後ろ盾があれば当選は十分に可能だ。しかし82年に選挙制度が全国区制から拘束名簿式比例代表制に変わると、出馬の話は立ち消えになった。
10代の頃から谷川浩司の才能を認めていた
そんな芹沢が早くから豊かな才能を認めていた棋士がいる。当時まだ10代だった谷川浩司(現十七世名人)である。順位戦で連続昇級していた谷川について、「将棋に打ち込む態度、落ち着いた所作、読みの深さ、決断力と、あらゆることに秀でている」と絶賛したものだ。 2人が初対局したのは、1981年度のB級1組順位戦の第7戦。芹沢八段が45歳、谷川七段が19歳の時だった。対局にあたって、芹沢は遊び仲間の知人にこう語った。 「これから1週間は、酒も競輪も誘わないでください。斎戒沐浴して対局に臨みます。何十年に一人という天才に対する礼儀というものです」 実際に対局前の1週間は、酒を断って文筆や講演の仕事をすべてキャンセルした。自宅では読書をして過ごした。 一方の谷川も後年に自著で、芹沢についてこう述懐している。 《芹沢先生には自分の棋譜をいつも見られていると思い、緊張して指したものだ。「勝とうと思って指すな。自分が正しいと思った手を指せば、結果的に勝ちにつながる」などの言葉で教えられた。私の将棋には、先生の考え方が少なからず反映しているような気がする》
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