港区のイタ飯店で1万円札に火をつけて葉巻を吸う客…店内にいた画家が「貴様出てけ」の後に言った痛快な言葉
■現金支払いがベストマナーな理由 【野地】「かんだ」の話、もっと聞かせてください。世界的に評価が高いだけあってお値段も高く、普通の人がそんなに頻繁に行ける店じゃないでしょう。どうしてそんな店に通おうと考えたのですか。 【松浦】「暮しの手帖」編集長に就任してリニューアルするとき、新しい時代の「上質と正統」というコンセプトを掲げました。それを実体験で学ぼうと考え、日本全国の名高い宿やホテル、レストラン、店舗、施設などを巡りました。その中でとくに感動したのが日本料理「かんだ」でした。料理はもちろんですが、食にとどまらない「上質」と「正統」を体験して心がふるえたのです。 ただ、一度ではすべてわかるはずはありません。ここに通って、自分がわからないものがわかるようになりたい。そう思って18年間、欠かさずに今でも通い続けています。 【野地】一流店に通うのは、マナーを勉強するのに一番いい方法かもしれませんね。「若者はマナーが悪い」と嘆く人もいますが、あれはマナーを無視しているのではなく、マナーを知らないだけ。若い人同士で行けばそうなります。マナーを知るには、マナーをよく知っている年長者が集まるところに行かないとダメ。 【松浦】おっしゃる通りです。感動を与えてくれる人、感動を与えてくれる時間、感動を与えてくれる仕事にいかに直接に触れるのか。それがマナーを磨いてくれます。 【野地】振り返ると、僕は取材した一流のみなさんからいろんなことを教わりました。高倉さんに初めてインタビューしたとき、僕はハンカチを持っていなかったんです。すると高倉さんは「ハンカチ持たないのか」といって白いハンカチを渡してくれた。「ああ、ハンカチを持つのは当然で、一流の人はいざというとき人に貸せるように2枚持っているのか」とびっくりしました。 渡すときにこっちが恐縮しないように、「でも、あげないよ。貸すだけだから」と笑うところにも心遣いを感じました。以来、僕もハンカチを持ち歩いています。松浦さんは、「かんだ」ではどのようなマナーを学びましたか。 【松浦】数えきれないほどありますよ。神田さんから教えていただいたことも多いし、お客さんも一流ですから見て学ぶことが多かった。 その中からあえて一つあげるなら支払いのマナーでしょうか。今はインバウンド客が増えたので、日本料理店もカード決済が広く利用できるようになりました。しかし、高級料理店はいい食材を市場から現金で仕入れているため、支払いも現金のほうが喜ばれます。いい客はみんなそのことを知っているので現金払いを選びます。 私も「かんだ」は現金で支払っていました。ただ、お勘定が来て財布を開き、その場で現金を出すことには抵抗がありました。現金を見せるのって、どこかスマートではないと感じていたんです。 どうしたものかと悩んでいたのですが、あるとき客として来ていた某日本料理店のご主人の支払い方を見て、これだと思いました。その方はあらかじめ現金を封筒に入れておき、それを渡していたのです。お店は封筒を受け取り、裏でおつりと領収書を入れてまた封筒を返す。こうすれば現金を人の目に触れさせることなくやりとりできます。 食材によって値段は変わりますが、松茸やカニの料理が入っていたとき少し多めに入れておきます。初めて行く店で領収書が欲しいときは、封筒に名刺を一枚入れておけばいい。「領収書ください」「お宛名は」という面倒なやりとりをしなくて済みます。こうすると現金でもいやらしさがない。真似させてもらって、今では他の店でも封筒で渡すようになりました。 【野地】お金の扱い方には、その人の品性が出ます。松浦さんの話を聞いて、対極にいる客思い出しました。三十数年前の話ですが、飯倉の「キャンティ」にホステス2人を連れてきたおじさんがいて、1万円札に火をつけて葉巻を吸おうとしたんです。火をつけている本人も引っ込みがつかない様子で、まったく楽しそうじゃない。最低にマナーの悪い客でした。 結局、怒りっぽいことで有名だった画家の今井俊満さんが、「貴様、出ていけ!」と怒鳴って追い出したんですけど。傑作だったのは、席を立つ3人に向かって今井さんが「お前は帰れ。女は置いていけ」と言った。この一言でみんな明るい雰囲気になった(笑)。 【松浦】マナーって、その人の生き方が出るんですよね。普段の生き方が素敵じゃない人が、マナーが求められる場面でマナー通りにやろうとしても地金が出てしまう。自分は何を美しいと思って生きているのか。それがその人のマナーとなって表れるのではないでしょうか。 【野地】松浦さんのように向上心があって自分を磨くためにお金を遣う人もいれば、お札を燃やすようなことをする人もいる。違いは美意識ですか。 【松浦】お金を遣うことは基本的に下品なことです。私が「かんだ」に通うのも、感動したい、美しいものに触れたいという自分の欲望の表れですから。もし違いがあるとしたら、「自分は恥ずかしいことをしているな」という自覚があるかどうか。その感覚がないと、下品な金遣いをまわりに見せてしまうことになる。 【野地】マナーの難しさの一つは、高級なものが必ずしも洗練されているわけではないこと。高級なスーツを着ると、かえって成金感が出る人もいるじゃないですか。松浦さんは何か意識していますか。 【松浦】買い物については若いときにたくさん失敗しました。“欲しい欲しい病”で、衝動買いして後悔したり、借金してまで高いものを買ったこともあります。でも、若いころのお金の失敗はいくらでも挽回する時間があります。むしろ失敗を怖がらないで欲しいものはどんどん買ったほうがいいのではないでしょうか。 欲望に任せてお金を遣っているうちに、「これは自分には似合わない」「これは人に馬鹿にされるのか」「恥ずかしい」という経験が重なり、本当に自分に必要なものが見えてきます。私の場合、厳選してものを買うようになるまで二回りくらい浪費を続けました。人生にはそういう時期が必要でしょう。