潜伏キリシタンの歴史に触れる、長崎・五島列島への旅。
奈留島|江上天主堂(えがみてんしゅどう)
付近の湧水の湿度に配慮した、風通しのいい構造。
奈留港から車で約15分、木立の間から天主堂の文字をのぞかせるのが「江上天主堂」だ。白い壁にブルーの窓枠が愛らしいこの教会堂は、「教会建築の父」と呼ばれた大工・鉄川与助(よすけ)によって設計施工され、1918(大正7)年に完成した。 「40~50戸の江上と宿輪の集落の信徒が、キビナゴ漁で得たわずかな現金から建設費用を捻出。当時にして5,000円とも2万円ともいわれ、今なら7500万から1億という金額でしょう。禁教が解かれた喜びと、強い信仰心ゆえ、生活費を切り詰められるだけ切り詰め、資金をまかなったのだと思います」(坂谷さん) 一般的な教会堂建築と異なり、江上天主堂は高床式。これは付近の湧水による湿気を考慮したもので、集落の民家と共通だ。内部は三廊式で、こうもり天井ともいわれるリブ・ヴォールト天井が美しい曲線を描く。柱は本目掻きと呼ばれる工法で、すべて手描きで作られている。窓もステンドグラスではなく、信徒たちが透明ガラスに桜の花模様を施したものだ。
●長崎県五島市奈留町大串1131 月・第3日曜休(月曜が祝日の場合は対応、翌日休) 訪問の際は要連絡 拝観無料 問い合わせ:長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産インフォメーションセンター TEL.095・823・7650(10時~17時)
島の歴史を知って、敬虔な祈りの場所を巡る。
1873(明治6)年に禁教が解かれると、それまで信徒の家や仮の聖堂を祈りの場としていたかつての潜伏キリシタンたちは、集落に教会堂を建て始めた。自身は生涯を通じて仏教徒だった鉄川与助をはじめ、大工たちが手がけた日本的意匠と教会建築の融合には心が動かされる。
椿の花をかたどった内部装飾など、この島ならではの細工が目を引く。建設資金が限られていた素朴な教会堂からは、信徒たちの信仰の強さを感じられるだろう。
久賀島|旧五輪教会堂
海辺にひっそりと立つ、日本で2番目に古い教会堂。 旧五輪教会堂は、海上タクシーか、細い山道を歩かなければ辿り着けない陸の孤島にある。1881(明治14)年に現在の浜脇教会がある場所に、仏教徒の大工により建てられた。 木造で潮風による傷みが激しく、信徒が増え続けて入り切らなくなったことで建て替えの計画が持ち上がった際、取り壊すならば五輪地区へ、と1931(昭和6)年に移築。道路が整備されておらず、大きな船もなかったため、解体された資材は筏に乗せて運んだそう。 長く祈りの場となってきたが、1985(昭和60)年、教会としての機能は隣に建てられた現在の五輪教会にゆずり、五島市により管理されている。 「大日本国憲法で信教の自由が明文化されたのは1889(明治22)年で、その8年前に建てられました。信徒さんたちは大変なご苦労がありましたが、教会堂を持てる喜びにあふれたのだろうと思います」(坂谷さん)