ネタモトがとんでもない極秘情報を教えてくれる時とは
◆オフレコ文化の問題点 西村 そういった関係性の構築と、本当の意味でのオフレコとは関係があるかな。記者としては、オフレコ文化にどっぷり浸かっていたら絶対にだめだというのは言うまでもないし、ここに妥協はないんだけれど、個人的な、なあなあの関係ではなくて、究極の状況で、人間と人間の信頼関係が問われるという局面になると、切り捨てられない部分があるよね。 佐藤 スペクトルではつながっているでしょうね。 西村 そして記者としてはもちろん、武器にもなります。ところが、政府のオフレコ文化に安住して、官僚とも身内のような感覚になって、同じサークルの中に閉じこもって、そこでしか得られない情報をもらうことに満足する。でもそれってもう、取材者と情報源の関係ではなくなっているんだよね。 佐藤 内輪感覚で、一緒に同じ政策をつくっていこうという方向性になってくるから。実際にいち早く政府の動向を記事にできるのだから、傍目(はため)にはよく情報を抜く記者だってことにもなるだろうし。 特捜を担当しているような社会部の記者のほとんどは、このタイプじゃないかな。本人は情報を抜いたと思っているかもしれないけれど、実態としては、特捜の描く事件づくりの環境整備に利用されている。 西村 政治でも事件でもそれがデフォルトになりつつあるのが問題なんだよね。あくまでも信頼関係ならいいのだけれど。 ※本稿は、『記者と官僚――特ダネの極意、情報操作の流儀』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。
佐藤優,西村陽一