「治療法のない難病に挑む」山中教授からのバトンをつなぎ正念場を迎えるiPS細胞研究の最前線に密着#ニュースその後
内科医から研究者へ――山中教授から受け取った「バトン」
長船教授には、難病の患者さんを救いたいという強い信念を持つきっかけがあった。京大病院の研修医だった1996年、多発性嚢胞腎の重い症状により、若い女性患者が亡くなった。 「家族もすごく悲しんでいて、その時の印象が強烈で。病気の進行をおさえるような薬が見つけられたらいいのになと思い、ずっと研究しています」 長船教授は1971年、現在の兵庫県たつの市に生まれた。京大での研修をへて県内で腎臓内科医として勤務。その後、より多くの人を救いたいと2000年に東京大学で腎臓の再生を目指した研究を始めた。2005年からはハーバード大学にわたり、腎臓よりも再生の研究が進んでいたすい臓の研究をしていたが、2008年に山中教授がCiRAを立ち上げたことを機に京都大学へとやってきた。 「山中先生への感謝もありますし、これからは自分が恩返ししないといけない。iPS細胞から作った細胞を、移植する日が数年で来るとは思っていなかった。でも山中先生はすごいリーダーシップを持ってそれを実現した。iPS細胞を作って臨床までのところをつないでくださったんですけど、そこから先はわれわれのような専門家がバトンタッチして医療として定着させるというところじゃないかと。これから自分らが頑張らないと」 長船教授は、今でも毎週のように臨床の現場に立っている。大学近くの透析クリニックでは、患者とこんな会話を交わしていた。 「調子はどうですか?」 「調子はいいです。」 「血圧も良さそうで」「運動はされているんですか?」 「暖かくなってからします。」 研究に明け暮れる中、患者と何気なく会話するこの時間は、貴重だという。 「こういう患者さんに会うと、『研究頑張らないと』って。助けてあげたい人がいますからね」 現在、日本で透析が必要な患者はおよそ35万人、その費用は1兆6,000億円に上る。研究成果が実用化されれば、こうした患者の多くを救えるだけでなく、国の医療費負担も大きく削減できるはずだ。これまで腎臓内科医として多くの患者と接してきた長船教授にとって、こうした思いが研究を続ける原動力となっている。