富士山と宗教(17)富士山に初めて登ったのは誰なのか
彼方から拝む対象だった富士山に人はいつ頃から登りはじめたのだろうか? そして最初に富士山に登ったのは誰なのか?
富士山二合目に本宮があった冨士御室浅間神社
山梨県富士河口湖町の河口湖畔にある冨士御室(ふじおむろ)浅間神社には武田信玄が彫ったという木彫りの不動明王像、鋳物の角行像、そして乗馬姿の聖徳太子の木像がある。境内には本宮と里宮の二つの社殿が建っているが、本宮社殿は富士山二合目に建っていたものを永久保存のために1974(昭和49)年に移築したという。それまでは、富士山二合目に本宮があり、河口湖畔に里宮がある神社だった。 かつて本宮のあった富士山二合目には、今は奥宮とされ小さな社(やしろ)が建っている。富士山中のこの地で699(文武天皇3)年に藤原義忠が祭祀を行ったことが冨士御室浅間神社の由緒とされており、そのため冨士御室浅間神社は富士山中の神社として富士山最古を謳っている。 平安時代中期の貴族に藤原義忠という人がいるが、由緒の祭祀とは時期が合わない。御室浅間神社に確認すると、由緒に登場する藤原義忠は、平安貴族の藤原義忠とは別人とのことであった。 乗馬姿の聖徳太子像は江戸時代初期の作品で、聖徳太子が馬に乗って富士山に登ったという伝承にもとづくものだ。武田信玄をはじめ数々の戦国武将から崇拝された冨士御室浅間神社。その由緒からは古い時代の富士山登拝をもうかがわせるが、由緒の真実は歴史のベールに包まれている。
呪術者、役小角が伊豆大島から跳梁?
呪術者、役小角(えんのおづの)は修験道の開祖とされ、役行者(えんのぎょうじゃ)ともいわれている。699(文武天皇3)年に伊豆大島に流罪となり、伊豆大島からしばしば富士山に登ったと伝えられている。ただし、役小角もまた神秘のベールに包まれていて、富士山に登ったことも伝説として語られているものだ。 役小角が伊豆に流されたという699年は、富士山二合目で祭祀が行われたという冨士御室浅間神社の起源と同じ年というのが興味深い。 静岡県富士山世界遺産センター准教授の大高康正氏は著書「富士山信仰と修験道」の中で、冨士御室浅間神社に1189(文治5)年銘の日本武尊像と1192(建久3)年銘の合掌姿の女神像があり、それらの像に伊豆走湯山の覚実覚台坊が富士山で修行をしていたことが記されていたと記している。これは甲斐国誌の記述を指摘したものだが、今日、冨士御室浅間神社では日本武尊像や合掌姿の女神像を所蔵しておらず像の所在は明らかではない。