特別支援学校教員がなぜ海を渡るのか 理想のインクルーシブ教育を求めて #こどもをまもる
特別支援学校の教員が感じた疑問
この日の教室には、5人の生徒に対し、大内さんを含め3人の教員がいた。特にサポートが必要な生徒に対しては、「一対一」の形をとることもある。教員1人でおよそ40人の児童生徒をみる通常学級よりも圧倒的に手厚い体制といえる。保護者の多くもこの手厚さを求め、我が子の通学先に特別支援学校を選ぶ。しかし、大内さんはこうした体制を必ずしもいいものとは思わない。 「日本の教育は、通常学級であれ、特別支援学級であれ、特別支援学校であれ、個人の能力をいかにして伸ばすかということばかりに重点が置かれている。それが自立だという考え方です。でも、彼らがいずれ学校を卒業して、地域社会の一員になるときのことを考えているのか。僕は疑問に思います」 なぜ、大内さんはそう考えるのか。それは数年前の経験が影響している。 2015~2017年度、神奈川県内の別の特別支援学校の高等部の教員だった大内さんは、初めて高校1年生から3年間持ち上がりで担当した。どの生徒も大きな可能性を秘めていると信じて疑わなかった。しかし、その生徒たちが、いよいよ社会に飛び立つ時期になると、厳しい現実を突きつけられた。いくら調べても、ほんのわずかな就労先しか提示できないのだ。 生徒たちの多くはスクールバスで通学するため、入学と同時に地域社会から分離される。そして、卒業と同時に、障害が重いとされる生徒ほど、自宅から近い場所で就労する。一見すると、地域社会に戻ったようにも見える。しかし、そこには同世代の知り合いはいない。就労の場の多くは、少数の管理者を除けば全員が障害者ということがほとんど。大内さんは「異様な世界」と指摘する。
「障害が重い人ほど、家とその職場を往復するだけの生活になる。職場は確かに街の中にあるかもしれない。でも、それで地域社会の中にあるといえるのか。僕には街の中で障害者を『隔離』しているように思えます。2016年7月、神奈川県相模原市の知的障害者福祉施設『津久井やまゆり園』で入所者19人が殺害される事件が発生しましたが、健常者の側の都合で障害者を社会から分離するという点では、構造的に同じではないかと感じます。本来、生徒たちそれぞれにはいろいろな能力があり、さまざまな人生を生きる選択肢があって然るべきです。でも、現実を見ると、生徒たちに待っているのは、さまざまな可能性を奪われ、管理されるだけの生活ではないかと感じた。明るい世界の中に生徒たちを送り出すとは、全く思えなかったんです」 こうした障害者だけを集めるシステムについて、大内さんは「日本は障害者に無関心なままでいられる分離が前提となっている社会であり、その状態を守ろうとしている」と述べる。そして、障害のある子どもたちだけを集めて教育を行う特別支援学校も、やはり分離社会を生み出すしくみの一つだとする。 「もちろん、教員たちは日々一生懸命、それこそ自分の時間を削りながら、子どもたちのために働いています。しかし、支援学校というものの始まりが、もともとは通常の学校に通学する機会を与える代わりに、一般の子どもたちとは別の場所で教育を行ってきたものである以上、まったくの善意とはいえないと思う。ある意味、排除の教育であり、差別の構造の中にあります。そして、自分自身、その分離社会を生み出すしくみに加担しているという罪悪感をずっと心に抱いてきました」 教え子たちの門出に際し、こうした罪悪感が改めて頭をもたげてきたとき、大内さんの脳裏に浮かんだのはかつて留学していたイタリアで見た光景だった。