名古屋城の木造復元差し止め訴訟 主張が受け入れられた名古屋市が心から喜べないワケとは?
復元計画の問題点考慮されぬ判決
判決文を読むと、木造復元に関して、名古屋市の主張がほぼ取り入れられている。コンクリート天守の耐震改修よりも、木造復元によって「より真実性の高い復元が可能となり」「本質的価値の理解を更に促進させることができ」「文化観光面における魅力が向上する」などと評価している。 確かに名古屋城が木造で復元されれば、文化財としても価値が高まり、今よりももっと多くの観光客が訪れることが期待できるだろう。しかし、そんなことは誰にでもわかることだ。本当の問題は「それができていない現状」だ。 名古屋城天守木造復元計画は、河村たかし市長が2013年の市長選で公約に掲げた主要政策の一つである。空襲で燃えたあと、1959(昭和34)年にコンクリートで再建された名古屋城の天守が老朽化しているため取り壊し、江戸時代のような木造で再建して観光の目玉とし、いずれは「本物」として国宝を目指そうというものだ。空襲で焼ける前に撮影された多くの写真や図面が残されている名古屋城であれば、完全な木造復元が可能であると主張した。 ところが、である。当初はオリンピック開催に合わせて2020年に完成させるとしていた木造復元計画は、まだほとんど進んでいない。名古屋市は現在、リニア中央新幹線開業に合わせて2028年の完成を目指すとしているが、先行きは不透明なままだ。 筆者が考える木造復元計画を進める上で解決すべき問題点は、以下の4点に集約できる。 1、本質的な歴史的価値のある江戸期からの石垣の調査研究・保護を再建より優先すべきだとする専門家の意見。 2、むかしのままに木造再建された場合、耐震・耐火性能で現在の建築基準を満たさず、観光客を中に入れた場合の安全性が確保できない。 3、むかしのままの再建であれば、当然バリアフリーではない。 4、500億円を超えるとされるコストを50年という長期の観光収入によって回収しようとする資金計画には無理がある。 こうした問題のため、木造復元計画はいっこうに進まず、それゆえ市民の関心もすっかり薄れてしまった。市民からの寄付金も年々少なくなり、河村市長が目標とする100億円に対し、昨年までの3年間で集まった金額はわずか4億円に過ぎない。 こうした中、「市民による多くの寄付によって築かれた現在のコンクリート天守にこそ歴史的な価値がある」「耐震補強すれば、これまでどおり名古屋のシンボルとして、また歴史博物館として存続させられる」と主張する市民らが「名古屋城天守を有形文化財に登録を求める会」を組織し、木造復元事業の差し止めを求め、提訴したわけだ。 判決で、実際に復元が進まない現状について触れられることはなく、防火避難の安全性確保の問題についても「高度な技術的検討が必要である」と書かれているだけだ。むかしのままに作った建物を燃えないようにする、多数の観光客を一瞬にして避難させる、などといった高度な技術はおそらく今後も開発されないだろう。