日本の城は岐阜城から始まった? 大河ドラマ『麒麟がくる』で沸く岐阜が歴史のまちとしてアツいわけ
NHK大河ドラマ『麒麟がくる』の舞台となり、知名度が急上昇中の岐阜市。人口約40万人、名古屋駅からは電車で30分ほどのため、岐阜県の県庁所在地ながら名古屋圏の近郊都市という印象が強い。しかし、今回の「大河効果」以前に、岐阜城を中心とした歴史研究や発掘調査はここ数年、大きな盛り上がりを見せていた。その理由を追ってみたい。
日本最古の天守は岐阜城? 通説覆す発見も
市内中心部にある標高329メートルの金華山。その頂上には岐阜城が輝いている。大河ドラマでは現在、斎藤道三の城として登場しているが、1567年に織田信長がここへ入城した。名古屋のある尾張国(愛知県西部)から移った信長が、安土城を造るまで約10年間住み、当時のスペインの宣教師に「織田キングダム(王国)」と呼ばれた場所が美濃国岐阜だ。実際に、山頂には信長が住んだ建物が造られたとされ、ふもとの発掘調査では金箔瓦の豪華な館跡や滝を持つ庭園跡などが見つかっている。 現在、山頂にあるのは1956(昭和31)年に建てられたコンクリート製の天守(城型資料館)だが、その下で昨年、信長時代の石垣が新たに発見された。興味がなければ「だから何?」という話だが、実はこれ、日本史では大きなトピックになるかもしれない。 というのも一般の人にとってお城といえば天守(俗に天守閣とも)のことだが、それは信長の安土城から始まったとされている。それ以前の城にはいわゆる天守はなく、砦のようなものだった。安土城より古い信長の城である岐阜城で、日本最古の天守台(天守を乗せる石垣)と思われる石垣が発見されたということは、その上に建っていたであろう建物は、日本最古の天守かもしれないのだ。そうであれば日本の城(天守)は安土城ではなく岐阜城から始まった、ということになる。 そう発表したのが、岐阜城を研究し、地元復興のために生かそうとしている市民グループ「岐阜お城研究会」代表の柴田正義氏(47)だ。市内で洋菓子店を経営する柴田氏は、これまで32回のシンポジウムや勉強会を開催しており、2月11日にはその総まとめとして約50人の一般参加者を集めて「第33回岐阜城の最新研究が熱い」を市内の日本酒バー「MIRAI」で開いた。