名古屋城の木造復元計画はなぜ行き詰まっているのか?
名古屋のシンボルである名古屋城の木造復元計画が行き詰まっている。当初予定していた2020年の東京オリンピックまでの完成はおろか、22年に先延ばしした計画も撤回。11月下旬から12月上旬にかけて市内各地で開かれた市民への説明会でも反対論は根強い。そして、そもそも説明会に出席する市民は極めて少なく、盛り上がりを欠く。地元の歴史ライターとして、これまでの経緯と、いったい何が問題なのかをまとめてみたい。
「東京オリンピックまでに」だったのが…
徳川家康が造らせた巨大な名古屋城は戦前、国宝に指定されていた。1945(昭和20)年の名古屋大空襲で焼けてしまったが、市民の寄付をベースに「燃えない」コンクリート製で1959(昭和34)年に再建された。その際、石垣の内側に杭を打って土台を造り、その上に今の天守を建てている。江戸時代のように石垣の上にのっているのではない。 近年、この城にも耐震問題が出てきた。そこで「耐震施工より木造で復元したら」と言い出したのが、「あいちトリエンナーレ」に関する発言や行動でも物議を醸した河村たかし市長だ。名古屋城は戦前に撮影された多くの写真や実測図が残っており、それを使えば寸分たがわぬ「史実に忠実な」復元が可能だと主張。「東京オリンピックまでに完成させる」と豪語したのが、今から5年ほど前のことだ。 市職員に対し、全責任は市長が取ると一筆書いて、予算505億円という大事業が始まった。建て替えに伴う観光客増加を見越して収入予測を作り、借金は「50年」かけて税金を使わずに返済するとした。なんとも無理のある計算に思えるが、これ以外にもいくつもの問題が噴出していて、実はまだ何も進んでいないのが現状だ。
木造復元には数々の問題
まず最大の問題は、国の特別史跡である名古屋城の現状を変更する際に必要な、文化庁の許可が出ていないこと。これは真に価値のある石垣の調査・保護ができていないから。「傷みが目立つ石垣保護を優先せずに建て替えるなど、まかりならん」というわけだ。 次の問題は木造で建て替えた場合、建築基準法では耐震耐火などの安全基準を満たせず「違法建築物」になってしまうこと。沖縄・首里城の火災でも明らかになったように、巨大木造建築物は火がついたら手の施しようがない。忠実に復元されるとしたら、階段は狭くて急なものになる。ここに一日数千人の観光客を入れる予定だから、大惨事になりかねない。ただし、建築基準法第3条(適用の除外)の「建築審査会の同意を得てその原形の再現がやむを得ないと認めたもの」とされれば違法建築ではなくなるため、市はそれを目指しているようだ。 もう一つの問題は、復元階段では身障者やお年寄りが上れないことだ。そもそも江戸時代の天守は人が頻繁に出入りするようなものではない。しかし観光客を大量に入れようというのだから、公共の観光施設としてはバリアフリー対策が必須だろう。でも「史実に忠実」な復元では事実上不可能なのだ。 施工業者に選ばれた竹中工務店は当初、木造ハイブリッド構造で耐震耐火性能を備え、避難階段やエレベーターまである基本設計を名古屋市に提出した。しかし「これでは復元と言えない」と市長は却下。あくまで「史実に忠実」にこだわり、バリアフリーもパワードスーツなどの新技術で実現させると公募を始めた。なお、木造天守は現在の土台の上に建てる予定なので、そこはすでに史実に忠実ではない。