『母がしんどい』がベストセラーの漫画家・田房永子さん、“恨み切る”という方法で両親と絶縁「罪悪感がなくなり、気にならなくなった」 再び対峙できる関係に
「親は大事にしなさい」「きょうだいだからしょうがない」……いまだ日本に根強く残る血縁主義。しかし、それが負担になり、悪影響をもたらしているようなら「絶縁」を考えてもいい。家族と絶縁して、ようやく自分の道を歩み始めることができたという人が、苦悩や葛藤、喜びを明かす。 【写真】母の怒りで子供が泣きわめくイメージ写真
自分の思い通りにならないとキレてわめく母
両親から肉体的な暴力は受けておらず、一人娘として私立の中高一貫の学校と短大に通い、何不自由なく生活してきた。それでもやっぱりおかしい、親のせいで、自分の人生がめちゃくちゃになる──漫画家の田房永子さんは29才で結婚する直前、そんな思いにとらわれた。 「母は思ったことを全部言葉にして、自分の不安や葛藤を丸出しにする人で、私は小さな頃からずっとそんな母に苦しめられてきました。結婚する頃には父も過干渉になり、母は私の夫のことまで悪く言い始めた。そのまま両親の言うことを聞いていたら夫とは離婚になると思い、両親とつきあうのをやめようと決意しました」(田房さん・以下同) 自分の思い通りにならないとキレてわめく母から「お前が悪い」と言われ続けた。大人になっても母と会うと息苦しくなり、体が震えて寝込むほど。少しでも言葉を交わすと母のペースに巻き込まれた。 結婚を機に母との絶縁を決意したが、それは想像以上に困難な道のりだった。 「メールアドレスを変えて結婚後は住所も伝えなかったので、私の意志の強さが伝わって徐々に連絡が途絶えました。それでも、昔から母は気に入らないことがあると学校や勤務先に罵声電話をしてきたので、自宅の玄関前に母がいるんじゃないかとビクビクする毎日が2~3年続きました」 親と物理的な距離をとったとしても、“心の絶縁”は難しい。田房さんが選んだのは「恨まない」ではなく、「恨み切る」という方法だった。 「絶縁を機に、両親を恨んでもいいと決めました。母の理不尽さをふと思い出したとき、“こんなこと思っちゃダメ”と抑えつけたり自分を責めたりするのではなく、“本当に腹立つよね”と、ストッパーを外してひたすら恨む。 自分のなかで消化できていない悔しさやつらさがあるから自然に思い出すわけで、その気持ちに寄り添って両親を恨むようにしました。私は29才で限界を迎えたので、同じように30年ほどかけて両親を恨み切ろうと計画していたら、10年ほどで恨むという行為に飽きてきて、“そろそろ会ってもいいかな”と思い始めた。 そこから関係性が変化して、自分は親不孝だという罪悪感がなくなり、両親のことが気にならなくなりました」
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