「まっとうに育つしかなかった」小6だったあの日から10年。親世代が人生をかけてくれた「復興」のその先へ #これから私は
「僕たちは震災のせいで『まっとう』になるしかなかったんです」。小学6年生で東日本大震災を経験した坂本樹さんが、被災直後に最もショックだったのは大人たちがパニックになる様子でした。あれから10年、親世代が復旧・復興のため人生をかけて苦労している姿を間近で目にしてきた彼らの世代は、今も「心のどこかで『ちゃんとしなきゃ』という感覚を共有している」と言います。そんな風に「育ってしまった」自分をどう受けとめ、どう社会と向き合っていくのか。お話を伺いました。(Yahoo!ニュース Voice編集部)
大人たちのパニックが、何よりも怖かった
当時、坂本さんは小学校6年生。震災の瞬間も学校にいた。 ―あの日のことを覚えていますか? 坂本樹さん: 僕はすぐに校舎の外に飛び出して、一度は家に帰ったんですよ。その時はまだ津波は見えていませんでした。三日前の前震のときにも、父が「ここまで津波がきたことはないよ」と言っていたから、僕も「まさかウチまでは……」と思っていて。でも、横を見たら、膝上くらいの高さで、黒いものがワーッて。 後からわかったことですが、あれは津波ではなく、川が氾濫したものだったみたいです。でもそのときはそんなことわかるわけがない。もう「やばいやばい」とみんなパニック。家族や近所の人たちと一緒に車に乗り込んで、元いた小学校へと急いで走り出しました。 そしたら、今度は本物の津波が見えて。波に追いつかれる寸前で、車を降りてみんなで走り出しました。僕はとにかく一緒にいるおばあちゃんがどこまで走れるのか心配しょうがなかった。実際におばあちゃんと父は、一回波にのまれちゃったんです。たまたま流れてきた屋根に乗っかって助かったんですけど。 なんとかたどり着いた学校も、パニック状態。「とりあえず上に登れ」っていう人の波に流されて3階の教室まで避難しました。そこから窓の外を眺めたら、下は一面の波。ゾッとしました。でも、僕はやっぱりおばあちゃんが心配で。こんな光景を見たらパニックになってしまうから、必死で外を見せないようにしていました。 ―その日はそのまま学校に? 坂本樹さん: そうです。真っ暗な夜のどこかから、ときどき爆発音が聞こえてきて。大きな漁船がこっちに流れてくるのも見えました。「あんなものがぶつかったらどうなってしまうんだろう」と本当に恐ろしかった。でも、僕が一番ビビってしまったのは、大人たちがパニックになっていたことです。大人があんな風に泣いている姿なんて見たことがなかったから、すごくショックで。今でも記憶に残っています。