「まっとうに育つしかなかった」小6だったあの日から10年。親世代が人生をかけてくれた「復興」のその先へ #これから私は
―少し変わった志望理由ですが、ご両親の反応は? 坂本樹さん: はじめ両親にはなかなか言い出せなくて。やっぱりお金もすごくかかってしまうだろうから。でも思い切って父に打ち明けると「お前が学生生活を一番楽しめるところに行ったらいいよ」と言ってくれたんです。「お前たちはたくさん苦労したんだから」と。 そのときから「楽しむ」ことは、僕の信念です。とにかく大学生活も楽しんでやろうと思いました。「俺はこれだけ充実してるぞ」っていうのを両親に見せることが、一番の恩返しになると思ったんですよ。
「自分たちがこの街を直さなきゃ」というのは思い上がりだった
―大学でも復興事業などに携わっていたんですか? 坂本樹さん: 特別なことはしていません。「普通の大学生活」を楽しんでいました。改めて「復興」というテーマに真剣に向き合うようになったのは就職活動をはじめてからですね。いずれは地元に貢献できる仕事がしたいと思っていましたから。 けれど「では復興とは何だ?」と聞かれると、それに答えられない自分がいました。「普通の生活」を知るために高校生のときに地元を離れたのに、それから7年が経って、今度は「地元がどうなっているのか」が全然わからなくなっていたんです。今、復興はどこまで進んでいるのか。それを知るために、宮城県の水産加工会社でインターンをはじめたんです。
―久しぶりに戻った東北の様子はどうでしたか? 坂本樹さん: 被災前の状況に戻っている、というかそれ以上に復興していると感じました。例えば、僕のなかでは石巻って、どこか寂れているイメージがあったんです。けれど震災後には全国でも類を見ない規模の水産加工場がつくられ、街全体がエネルギーに満ちあふれていて。復興という枠を超えて、そのさらに先の「世界に通用する街」を見せつけられたような気分でした。「自分たちがこの街を直さなきゃ」みたいな使命感が、ただの思い込みだったことを痛感しました。地元で復興に直接関わるのではなく、県外の一般企業に就職する道を選んだのは、そうした気づきがあったからです。