「名門音大への合格者は事前に決まっている。それが音楽世界の常識」と噓をつき、間接的な金銭要求、ハラスメントと「やりたい放題」の「ヤバすぎるピアノ講師」の実態
厳しい金銭状況
今も昔も、音楽家、とりわけクラシック音楽の世界は食べていくことが難しい世界だといわれる。加えて、それこそ明治時代の滝廉太郎が生きた頃の価値観、師匠と弟子という価値観が、今なお蔓延っているという。 それでいて音楽家になるには莫大なコストがかかる。そして、かかったコストの回収が難しいことも、ネット時代の今、多くの人が語らずとも知っている。 実際、この講師の彼女のように、ピアニストになるには、幼少期からピアノを習い、大学、大学院、そして海外留学まで、長きに渡って研鑽を積む。そこにかかった費用、合計3000万円といったところか。 そこまでカネと時間と手間をかけたところで、これに見合った収入を得られる人は、ごくわずか……、というのが現実だ。 話題のピアニスト、講師女性のレッスン生、その両親は、口を揃えて言う。 「そういえば、今思うとやたらと遠巻きながらも金銭を求められていたような――」
権威に名を借りた“騙り”
呼んでもいないのに出場したコンクールにやってくる。頼んでもいない講評メモを渡す。「このために時間を割いて来ました」「お茶も飲んでいないのです」と言う。 別のコンクールでもそうだった。呼んでもいないのに朝一番にやってきたことを、やたらと強調する。そして講評メモを押し付け、母親に向かって言う。「お昼食べていないんです」――。 こうした事実が積み重なると、たしかにいい大人であれば「お礼としていくらか包まないといけないのか」と思うだろう。冒頭で紹介した“ご挨拶”の文化だ。 この“ご挨拶”だのお礼といったそれ。これを渡し、渡されという口実、その最たるものが、入試や入試に絡むレッスン、「入学の確約」なのだろう。 今回のようにまったく無関係の大学の権威に名を借りた“騙り”により、金品が動く世界、それが芸術だというのなら、何とも情けない限りだ。音楽界の闇、その一端を見たような気がした取材だった。
秋山 謙一郎(フリージャーナリスト)