2期目の小池都政「脱パフォーマンス」都民の信頼保てるか
「動」の前半「静」の後半の1期目
さて、2期目を迎える小池都政であるが、その1期目を振り返ってみよう。大きくいえば、1期目の前半は知事の派手なパフォーマンスが耳目を集めたが、後半は実務的な姿勢が中心となった。 2016年の都知事選で小池氏は、築地市場の豊洲への移転の一時凍結、東京五輪・パラリンピック会場費用の見直しを公約した。
築地市場は2016年11月に豊洲新市場に移転することが予定されていたが、小池氏は知事就任後、正式に豊洲移転の延期を表明した。土壌汚染対策の「盛り土」が実際にはなかった問題などが発覚して追加工事がなされるといった経緯があり、最終的に2017年6月に豊洲への移転が決定され、2018年10月に豊洲市場が開場した。小池知事は「築地は守る」として「食のテーマパーク機能を有する新たな市場」を整備すると明言していたものの、今のところ築地に市場を再開させる計画は見当たらない。
五輪費用見直しについては、バレーボール、ボート・カヌー、水泳の3競技会場を移転する案が出された。しかし内外の競技団体などからの強い反発もあり、撤回を余儀なくされた。約400億円のコスト削減が行われたことは評価されるべきだが、会場移転の唐突な提案は、競技団体や関連自治体などを振り回す結果となった。 以上の通り、1期目前半の小池知事は、大胆な問題提起をして世論の関心を集めるものの、結局のところ既定路線を踏襲するというパターンが多かったといえる。 また就任当初の小池知事は、都政を「ブラックボックス」と呼び、特に都議会自民党を強く批判した。自らが代表となった地域政党「都民ファーストの会」は2017年7月の都議選で躍進し、自民党を破って都議会第1党となった。
流れに乗った小池知事は国政にも意欲を示した。同じ年の9月には、衆院選を前に「希望の党」を結成し、自ら代表に就いた。安倍政権への批判を強め、一時は政権交代の可能性すらささやかれた。小池氏は民進党の前原誠司代表と両党の合流について合意していたが、憲法や安全保障など主要政策で一致しない民進党議員を「排除します」と表明した小池氏の発言が大きな反発を招いた。選挙戦の中で、合流に反対する枝野幸男氏らを中心に結成された立憲民主党が支持を伸ばしたのとは対照的に、希望の党は失速していった。10月に行われた投開票の結果、希望の党は惨敗し、小池氏は党首を辞任した。 この後の小池都政では、派手なパフォーマンスは影を潜め、実務的な取り組みに重点が置かれた。たとえば待機児童対策では、当初公約した待機児童ゼロは達成できなかったものの、就任前に8000人を超えた待機児童が本年4月には約2300人と減少し、一定の成果を上げたといえよう。その他、五輪・パラリンピック準備はもちろんのこと、行政改革、少子高齢化対策、環境対策、災害対策、雇用対策といったさまざまな課題に取り組んでいった。 そんな小池都政1期目の終盤に、コロナ禍が襲来する。そこで再び小池氏の得意な政治手法が発揮されるようになった。 小池知事は、国の緊急事態宣言が発出されるより前の段階から「ロックダウン」(都市封鎖)に言及したり、同宣言解除後は独自の「東京アラート」を発したりするなど、積極的な対応で注目された。このようにコロナ対応では、国の対応が後手に回っているように見られる中、小池知事とともに大阪府の吉村洋文知事、北海道の鈴木直道知事らが存在感を示した。これらの地方政治家が将来、国政の場で活躍する可能性もあるかもしれない。