大河後も悪逆非道なイメージの<平清盛>。しかし一代で政権を掌握した彼を単なる悪人と切り捨てるのは…歴史研究家・河合敦が解説!
NHK大河ドラマシリーズや映画などで「日本史ブーム」がまだまだ続いています。しかし、歴史研究家の河合敦先生いわく「じつは教科書が改訂されるごとに、多くの歴史用語や人物が消滅したり、評価が逆転したりしている」そうで――。そこで今回は、河合先生が日本史の新説をまとめた著書『逆転した日本史~聖徳太子、坂本竜馬、鎖国が教科書から消える~』から「平清盛」についてご紹介します。 【書影】教科書変貌でひもとく、大人は知らない日本史新説!河合敦『逆転した日本史~聖徳太子、坂本竜馬、鎖国が教科書から消える~』 * * * * * * * ◆戦前は悪人とされた平清盛は、いまの教科書で変化したのか? 足利尊氏と並んで、戦前に悪人の代名詞となったのが平清盛であろう。 たとえば1943年の国定教科書『初等科国史 上』(文部省)を見ると、「思いあがつた清盛は、勢の盛んなのにまかせて、しだいにわがままをふるまふやうになり、一族のものもまた、これにならひました」と書いてある。 ほとんど主観しか描写されていないひどい文章だ。だが、こうしたイメージは戦後も引き継がれてきた。 そんな清盛も、ついに2012年にNHKの大河ドラマ『平清盛』で主人公となった。 松山ケンイチさんが主演をつとめ、極めてリアリティのある意欲的な映像だと感じた。制作側の番組にかける熱意が見てとれた。 ところが初回放送を見た兵庫県知事が「華やかさに欠いていて、薄汚れた感じだった。もっと鮮やかにしてもらいたい」と発言をしたこともあり、視聴率は結果的に大苦戦となった。
◆大河ドラマ後の教科書は… さて、大河ドラマの結果、平清盛の教科書における表記はどう変わったのだろうか。 確認してみたら、まったく変わっていなかったのである。 「清盛は1179年(治承3)年、後白河法皇を鳥羽殿に幽閉し、関白以下多数の貴族を処罰し、官職を奪うという強圧的手段で国家機構をほとんど手中におさめ、政界の主導権を握った」(『詳説日本史B』山川出版社 2017年) 「清盛は、後白河を鳥羽(京都市)に閉じこめて、関白をやめさせ、貴族からも官職をうばって、平氏の一族による政権をつくったが、かえって反平氏勢力のうごきは活発となった」(『新中学校歴史』清水書院 2012年) 「思うままに政治を行う平氏に対して、貴族も大寺社も武士も不満をいだきました。とくに後白河法皇の平氏に対する反発が強まると、清盛は法皇をとじこめてしまい、かえってさらなる反対勢力を立ち上がらせることになりました」(『社会科 中学生の歴史』帝国書院 2016年) 平清盛が、後白河法皇を幽閉して朝廷を牛耳ったことから、悪逆非道なイメージがいまなお定着していることがわかる。確かにそういう面もあるかもしれない。 だが、よく考えてみれば、清盛は武士の出。そんな人物が一代で朝廷の太政大臣に昇りつめ、政権を掌握したのだ。単なる悪人と切り捨てるのはいかがなものか――。