「劇映画 孤独のグルメ」松重豊さんに聞く、人気ドラマ「12年の集大成、ターニングポイント」の覚悟と決意
「食べる」ことに生かされてきた12年
――エッセイ集『たべるノヲト。』(マガジンハウス)を拝読しました。食べものについての語り口や味わい方を、豊富な語彙をもって綴っていて、五郎を彷彿とさせるところもありましたが、これまで「孤独のグルメ」という作品に携わってきたことで、ご自身の食生活や食への意識に変化はありましたか? 僕も年齢的に無茶な食べ方をするような年でもないですし、普段は小食なので五郎のような食べ方は絶対しません。ただ、幸いなことにこの12年間、食べる仕事に携わってきて、この作品が多くの人に愛されて東アジアでも認知されてきたことを考えると、逆に僕が「食べる」ということに生かされているなと思うんです。 あとは、これまでドラマに登場したお店の方をはじめ、日本の飲食を支えている方々、コロナ禍や物価高などの苦境に立たされている人たちにエールを送りたいなという気持ちは、エッセイを書くことでも、この作品を作るうえでも常にあったことですね。自分の人生の後半が、こんなに食べるものに支配されるとは思っていませんでしたけど、僕も子どもの頃から食べることが好きでしたし、食えない時代も長かったけれど、その時代も食べることが一番の楽しみでしたから。「食べる」ことは自分が生きていくことと常に密接に結びついていたんだろうなと思います。 ――ひとつの作品、ひとりの役をこれだけ長く続けられることもなかなかないことかと思いますが、今の松重さんにとって「孤独のグルメ」はどんな作品になっていますか。 とりあえず「切っても切れない間柄」になったんだろうなという実感はあるんですけど、逆に、ずっと受け身のままで「呼ばれたら出る」だけで続けられる作品でもなくなってきたなという思いもあります。スタッフの交代や、以前はできたことがどうしてできなくなったのかといったことを考えていくと、やはり集団を維持していくだけでも非常に難しい時代になってきているんですよ。現状維持が難しい事情がある中で、もし今後もこのコンテンツを続けていくんだったら、一度ちゃんと仕切り直しをするべきだと思い、今回の「劇映画化」を提案しました。 12年間の集大成として新たなところに出発するんだったら、ここをターニングポイントにしようと思っていました。僕が全ての責任を負う形でここまで進めているから、僕が良かれと思って「孤独のグルメ」を次の次元に進めようと思っても、世間から「ノー」と言われたら僕の目論見が間違っていましたと言って取り下げるか、もうこの作品には関わらないことにしようという覚悟と決意を込めた作品になっています。