「『もう大丈夫なんでしょう?』と思われていたら悔しい」ーー「原発の不条理」を書いた劇作家と、飯舘村職員になった元テレビマン、11年目の思い #知り続ける
「大丈夫なんじゃないの」と思われていたら悔しい
村に戻らない人がいる一方で、早い段階から帰村を目指した人もいる。谷さんは、2016年に飯舘村を訪れたとき、「ふくしま再生の会」と出合った。「再生の会」は、飯舘村の人たちと、物理学や農学などの研究者が、協働して立ち上げた団体だ。事故の3カ月後に動き出し、翌年には水稲栽培実験を開始。その後東京大学の農業工学チームと連携するなど、生活と産業の再生に取り組んでいる。
谷「2016年にここに来たとき、避難解除されるかどうかというタイミングなのに早くも農地をざくざく掘り返して除染法の研究をしたり、作物の栽培実験をしたりしている人たちがいるのはかなり衝撃でした。再生に向けた機運を感じました。 でも、自分たちの力でなんとかしようとする姿はかっこいいんだけど、とばっちりをくっただけの飯舘村の人たちが、なぜ自力でがんばらなければいけないのか、とも思ったんです。本当は泣いたり怒ったりしていいはずのこの人たちが、なぜこんなにも力強くあらねばならないのか、と。 そのうちに、今度は村の中にソーラーパネルがどんどん増えてきた。エネルギー問題にしろ、過疎化が進むコミュニティーの再生にしろ、人類がまだ誰も、解決策をもっていない難問です。そんなものになぜ、被害者である飯舘村の人たちが最前線で立ち向かわなければならないのか。よくできた不条理劇のように感じました」
大森「ぼくももちろん、事故当時に福島県に住んでいたから当事者のひとりではある。でも飯舘村の不条理さは、ぼくらが感じるのとは全然(レベルが)違うからね。だからこそぼくは飯舘村に来たんだけど、5年経っても何もできていないと思うよ」 谷「よく原発に関しては『Not In My Backyard』と言うじゃないですか。必要な施設なのはわかるけど、うちの近くにはつくらないでくれ。でも、そんな都合よくいくわけがない。どこかにひずみが出てくるわけで、その最も残酷な例がここだと思うんです。飯舘の人たちにひずみを押し付けている構図が、言葉は適切ではないかもしれないけど、グロテスクだと感じてしまった」