「『もう大丈夫なんでしょう?』と思われていたら悔しい」ーー「原発の不条理」を書いた劇作家と、飯舘村職員になった元テレビマン、11年目の思い #知り続ける
『福島三部作』の第3部『2011年:語られたがる言葉たち』の主人公〈真〉は、地元テレビ局の報道局長である。モデルは大森さんだ。事故が起きたときは福島県を放送エリアとする放送局、テレビユー福島に勤務していた。2016年に同局をやめ、飯舘村の職員となった。戯曲執筆のために福島県内を取材して回っていた谷さんは、知人の紹介で大森さんと知り合ったという。
ふるさとってなんなんだろう
飯舘村は、福島第一原発からおよそ30~50キロメートルも離れている。原発とほとんど関係なく暮らしてきたこの村が全村避難を余儀なくされるとは、まったく予想されていなかった。 テレビマンから飯舘村職員に転身して6年、大森さんは、解決されていない問題の多さと、先が見えない現状に困惑している。
大森「先が見えない要因の一つは、人口構成がいびつだということです。高齢化や過疎化はどの自治体も直面する問題だけど、ふつうは年齢ごとの人口構成がゆるやかに変化するのに、この村は50代から下がごそっと抜けてしまっている」 谷「50代以下は、まだ避難を続けている方が多いということですか。移り住んだ先で職に就いていたりして、戻ってこないとか?」 大森「それも大きいし、飯舘村の場合、避難者のほとんどが福島市や伊達市、南相馬市など比較的近隣の自治体に避難したんだけど、そこで家を建てた人が多くて。住民票は飯舘にあっても、居住実態はそちらにある。医療や教育面を考えても、そちらのほうが生活の利便性が高いことは間違いない。特に若い人にとっては。 今年成人した子たちは、もう村にいた時間よりも、避難してからの時間のほうが若干長くなってしまっている。成人式の出席も年々減っています。それでも今年は、60人中27人が村の成人式に出席してくれた。あの子たちにとってふるさとってなんなんだろう、と考えます」
谷「去年、『福島三部作』を見たある海外のディレクターに『この話はヨーロッパ人はよくわかる』と言われたんですよ。『なぜなら、これは難民の物語だからだ』と。難民は、祖国を離れて何年経っても、場合によってはその土地に住んだことがなくても、『あそこはぼくたちの土地だ』とふるさとを思い続けるわけですよね。ルーツというか『自分という物語のはじまりの場所』は、人間にとってそれほどに大事なものなんだろうか、と思います」