「究極の孤独」と言われる《死》と立ち向かうにはどうすれば…良い意味で「あきらめる」方法
生き方を選択することはできる
「いくら延命治療を受けても、いつか必ず死はやってくる。それに、病気にならずとも、いつ事故や発作で死ぬかわからない。死に方を選択することはできないのです。 でも、いま、どう生きるかは選択できます。今日、『ありがとう』とちゃんと言えたか。謝るべき人に謝れたか。いま本当にやるべきことに取り組めているのか。逆に、本当は嫌だと思っていることにかかずらっていないか。心配すべきは死に方ではなく生き方だ―。道元禅師は、そう教えているのです」(大愚氏) ただ、そう言われて頭では理解できても、どうすればいいのかわからない、という人も多いだろう。 そこで道しるべとなってくれるのが、肉親のような、身近な「他者」の存在である。 神宮山大禅寺(関市)の根本一徹住職は、国内外をまわって「模擬葬儀」というワークショップを開いている。そこで、あることに気がついた。 「模擬葬儀では、まず『大切なモノ』『大切なこと(夢や目標、日課など)』『大切な人』『死ぬまでにやりたいこと』をカードに書き出してもらいます。そして、『自分が重病を患い、だんだんと動けなくなって弱り、死んでいく』という状況を想像してもらいながら、一枚ずつカードを捨てていってもらいます」(根本氏) 多くの人が、自分の死をシミュレーションし、迷いながら、ときには涙を浮かべてカードを捨てていく。ここで興味深いのは、最後まで握りしめる「いちばん大切なもの」が、欧米人と日本人とで異なるということだ。 「欧米では『夢』や『目標』を記したカードを残す人が多いのですが、いっぽう日本では、大多数が『大切な人』を記したカードを残すのです。 欧米では、人生は『目的』こそが重要だとされています。しかし日本人は、夢とは儚いものだと知っていて、それよりも『誰かのために生き、そして死にたい』と願う人が多いのではないでしょうか」(根本氏)
ひとりでも孤独じゃない
最期まで身近な人を想い、大切にしながら去ってゆく―そんな姿に、残された人々は強く胸を打たれる。 そして先に旅立った人たちも、そうした死を実現した人には、笑って手を差し伸べてくれる―。前出の大河内氏の父は、まさしくそんな温かな最期を迎えた。 「膵臓がんで亡くなった父は、死の前夜に家族を呼び『先に行くからな。お前たちはゆっくり来いよ』と最期の言葉をかけてくれました。 そして亡くなる瞬間、静かに目を閉じ、ふっと手を挙げて、少し笑みを浮かべたのです。その姿はまるで、迎えに来た誰かに『おお、久しぶり』と言っているように見えました。 死とは『究極の孤独』とも言われるように、誰も一緒に死んではくれません。ですが仏教の世界観では、人は死後、誰もいない場所に行くわけではない。むしろあちらには、たくさんの人たちが自分を待ってくれているのです」 人はひとりで死ぬ。でも、ひとりではない──。 このことを最期の瞬間まで心に留めていれば、恐怖に囚われず「美しく逝く」ことができるのだと、先人たちは教えてくれている。 『週刊現代別冊 おとなの週刊現代 2024 vol.4 死後の手続きと生前準備』が好評発売中! 累計188万部の大人気シリーズが、大幅リニューアルでさらにわかりやすくなりました! 週刊現代の大反響記事を、加筆のうえ、ギュッとまとめた一冊です。
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