米ソの雪融けから一転...大統領選で、民主党に勝利をもたらした「共和党のしくじり」
アイゼンハワー大統領がフルシチョフとの握手で"雪解け"をアピールしたのも束の間、U2型機撃墜事件が勃発し、米ソ関係は再び緊張状態に...。その後もキューバ危機や、ヴェトナム戦争での北爆など、"緊張"と"緩和"を繰り返す瀬戸際外交が続いた。こうした米ソの関係が、大統領選挙とどのように結びついていたのか、書籍『教養としてのアメリカ大統領選挙』から解説する。 【書影】アメリカ大領領選挙にはどんな特徴がある? カリスマ世界史講師が示す「11月の大統領選挙」の読み解き方 ※本稿は、神野正史著『教養としてのアメリカ大統領選挙』(秀和システム)から一部を抜粋・編集したものです。
「雪融け」へ
ソ連でもスターリンの死後しばらくは"ポスト・スターリン"の座を巡って後継者争いが起こっていましたが、やがてフルシチョフがこれを制すると、彼は「社会主義の正義」を固く信じていたため「冷戦」からの脱却を目指すようになります(※1)。 まず1955年には「ジュネーヴ四巨頭会談(※2)」を提唱して米・英・仏・ソの全権が平和共存について話し合う場を設け、翌56年には国内の冷戦推進派(スターリン主義者)を一掃せんと「スターリン批判」を実施したばかりか、58年にはソ連書記長として史上初めて訪米を果たし、空港でアイゼンハワーと固い握手を交わしています。 米アメリカ国務長官のダレスだけは断固「冷戦続行!」を叫びましたが、アイゼンハワーはこれを抑え、以降米ソの平和共存を模索する時代「雪融け」段階へ入っていきます。 [注釈] (※1)もし「社会主義が正しい」とするなら平和を維持した方がよい。なぜならば、ふつうに経済活動していればかならずソ連が勝利するのだから。にもかかわらず、もしこのまま冷戦を続行して「第三次世界大戦(核戦争)」にでもなったら、せっかく勝てる戦が"米ソ共倒れ"となって元も子もなくなるためです。 (※2)結局たいした成果はありませんでしたが、なんとかこれを和解の足がかりにしたいと願った米ソは「これからは平和共存路線でいこうという確認がされた(ジュネーヴ精神)」と、むりやりその"成果"をアピールしました。