「私もゲイの友達いるよ」その発言、実は相手を傷つけているかも…LGBTQ当事者と考える、日常にある差別とは
「私もゲイの友達いるよ」何気ない一言がマイクロアグレッション に
――SOGIに関することで、差別や“マイクロアグレッション※2 ”を感じた経験は? 例えば、初対面の人からよく言われるのですが、「私もゲイの友達いるよ」という一言。これを言われると、またか……と思ってしまいます。会話を広げるために良かれと思っての発言かもしれませんが、その方の友達の性的指向は特に私に関係ないので、わざわざそれを教えてもらう必要はないのかなと。 ――「異性愛者の友達いるよ」とは、なかなか言いませんよね。もしかして“ゲイの友達がいるから偏見はないよ”というメッセージが含まれているかもしれませんが、友達がいることがイコール偏見がないことにはならないですし、何人もの人から言われ続けるとうんざりすることが想像できます。 逆に、不自然に感じるくらいそういった話を振られず、アンタッチャブルな存在に扱われることも、隠れたマイクロアグレッションのひとつだと思います。実は今、私のパートナーが妊娠していて、来年の2月に子供が産まれるんです。そのことを日本で友人などに話した時、悲しく感じるのは、あまり話を広げてもらえないこと。「すごいね」と言われて、早く話を終わらそうという雰囲気になるのを感じます。私は妊娠していないので、私の血が繋がっていない子というのは明らかで、そのことを気にしてくれているのかな? とも思うのですが、何人もの人から「この話には触れられない」と、コミュニケーションを閉じられてしまうと、疎外感を感じてしまいます。 日本のコミュニケーションの取り方って、「言わない」「聞かない」ことが思いやりという部分があるのかもしれないですが、それによって距離ができてしまうことも多いのかな? と、その時に感じました。 ――それと似たような話をLGBTQ当事者の方から聞いたことがあります。仕事仲間の数人と食事をしていて、それぞれの私生活や恋愛の話になっても、不自然なほど、その人の恋愛話には触れられないことが傷つくと。 あるあるだと思います。私はメディアなどパブリックな場で問題提起をしたり、パートナーのことなどを話しているので、私の事情に関して知られていることも多く、周りはそこまで触れにくいという空気は、普段はありません。ただ、私のように表に立って話していない人がほとんどだと思うので、「誰からも聞かれない」「話を触れてもらえない」という寂しさや疎外感を感じている人は多いと思います。 ――「話を聞いてほしい!」という単純な話ではなく、SOGI の違いによって対応を変えられるのはどうなんだろう? ということですよね。自分だけスルーされ続けるのは、誰しも傷つくことだと思います。そして、「きっと話したくない話題だろう」というのも、決めつけのひとつで、それらがマイクロアグレッションに繋がっているんですよね。 ------------ Interview&Text:Yumiko Ito Photos:Tami Kanamori
講談社 ViVi