異国の店主と土地の味。/モロッコ料理店『レストラン・モロッコ』
各地のローカルな風を届けてくれる東京近郊の外国料理店の店主を、 料理家の土井光さんと巡るコラム。
土井光(以下、土井) ジャファーさんは、日本に暮らし始めてどれくらい経ちましたか? モロッコ料理が大好きな私ですが、なかなか東京で本場の味に巡り会えないなあ……と思っていた矢先。友人から教えてもらい訪ねてみると、マラケシュの通りのレストランにいそうな素敵なモロッコ人ジャファーさんが出迎えてくれました。 エル・ハシミ・ジャファー(以下、ジャファー) 1981年からなので、40年以上になります。来日前はパリの大学に通っていたんですが、パリで出合った日本人女性と結婚して、日本に引っ越すことになったんです。日本のすべてが心地よくて、好きだと思いましたね。
土井 日本との相性がよかったんですね。まずは、どんなお仕事をされたんですか? ジャファー 最初はモロッコの民芸品を輸入して、高島屋などのデパートで販売していました。このお店にも、その頃売っていたのものと同じ民芸品を飾っていますよ。
土井 色合いや柄が派手すぎないモロッコの民芸品は、たしかに日本で人気がありそうですね。 ジャファー 当時はバブル真っ只中でしたから、景気がよくて売りがいがありましたよ。その後しばらくして、飲食店をスタートしました。1996年から2002年までは赤坂、2002年から2004年までは青山で。店名は今と同じ『レストラン・モロッコ』。モロッコからシェフを呼んで、青山の時はイタリアンなどの地中海料理もいろいろ出していましたね。
土井 現在の神田のお店の前に、2店舗も経営されていたとは! 神田に移ったのは、その後ですか? ジャファー 青山のお店を畳んだ後、メクネスというモロッコにある故郷の街に一旦帰りました。かつては国王が住む都だったので、古い建造物などが今でも残っていて、日本でいう京都みたいなトラディショナルな街です。観光地としてもオススメですよ。でも、モロッコ人の一般的な考え方や仕事への向き合い方などが合わず、結局日本に戻ってきました。
土井 故郷はもちろん大切だけれど、生まれ育った土地ではない場所で自分の居場所が見つかることもありますよね。 ジャファー 世界は広いですからね。戻ってきてから数年間はモロッコの民芸品を販売して、パンデミックになる少し前に、また飲食店を再開して現在に至ります。