3時間集中して映画館で見るべき映画「オッペンハイマー」
映画「オッペンハイマー」を見てきた。 原爆開発というシチュエーション以前に、映画として傑作だと思った。上映時間3時間で、一つもダレる場面がない。弛緩するカットもない。大変な緊張感で一気に見せられる。 なるほど、これは途中休憩を入れられないのも道理だ。高い緊張感を維持したまま一気に見ないと映画の意図したところが伝わらない。だから、この作品は映画館で見ることが絶対の条件だ。「ディスクが出たら買って見よう」「配信に入ったら見よう」と思っている方は、考えを変えてすぐにでも映画館に行きましょう。 ●「アマデウス」のサリエリとストローズ 映画の焦点は、あくまでロバート・オッペンハイマーの複雑な人間性と彼のたどった数奇な人生にある。 映画は、学生時代からマンハッタン計画の指導者として原爆開発を成功させるまでと、戦後にオッペンハイマーがかけられる2つの査問という、3つの時系列が絡まりあって進展する。主軸となるのはオッペンハイマーに私怨を抱き、彼を追い落とそうとするルイス・ストローズとの確執だ。その意味では、この映画は、モーツァルトとサリエリの確執を描いた映画「アマデウス」(1984年、ミロス・フォアマン監督)に近い。 ただし、「アマデウス」では、サリエリがモーツァルトの最大の理解者であり、サリエリはモーツァルトの天才性を理解できるが故に自らの才能のなさに苦悩し、ついにモーツァルトを殺害しようとする。 「オッペンハイマー」では、たたき上げの苦労人で出世欲の強いストローズは天才であるオッペンハイマーを全く理解できない。自分と同じようにオッペンハイマーも、出世欲と自己顕示欲にまみれていると思い込んでしまう。映画終盤近く、そこまで冷静にオッペンハイマーを追い込んできたストローズが、怒りもあらわにオッペンハイマーを罵倒するシーンは大変な見ものだ。 この映画でのマンハッタン計画は、あくまでオッペンハイマーの人生を描くための背景だ。私が気にしていた(「ビキニのバービー、オッペンハイマーを笑う」)レズリー・グローヴス(マンハッタン計画を物資や人員動員などの行政面から支えた軍人)とエドワード・テラー(後にオッペンハイマー追い落としに加担し、水爆開発を主導する物理学者)は、主要人物として登場するが、その描写はあっさりしている。 だから、この映画を見ればそれだけでマンハッタン計画のなんたるかが分かるかといえばそんなことはない。ただし、事前に色々調べておけばおくほど個々の描写が細かく正確であることが分かって、めちゃくちゃ面白い。 登場する科学者の名前と業績が頭に入っていると、ますます面白さは増す。アインシュタインが「神はサイコロを振らない」と、最後まで量子力学の考え方に反対していたことを知っていれば、オッペンハイマーとアインシュタインとの会話も一層味わい深く感じるだろう。オッペンハイマーの味方として登場するイジドール・ラービ(1898~1988、1944年にノーベル物理学賞受賞)やアーネスト・ローレンス(1901~1958、1939年にノーベル物理学賞受賞)、ナチスに恐怖しアインシュタインと共にルーズベルト大統領に核兵器開発を訴える手紙を送ったものの、後に原爆使用に反対するようになったレオ・シラード(1898~1964)、1カットだけ登場する数学者のクルト・ゲーデル(1906~1978、ゲーデルの不完全性定理で知られる)、そして、なにかとボンゴを叩きまくる若者(誰かは言うまでもないですよね。え、分からない?「ご冗談でしょう」)、彼も1965年ノーベル物理学賞受賞――。 とはいえ、今でも「日本に原爆を落としたことで戦争終結が早まり、多くのアメリカ合衆国(以下アメリカ)の兵士が死なずに済んだ」という原爆肯定論が根強いアメリカで、よくこれだけ踏み込んだ原爆描写をしたなとも思った。徹底したリアリズムで再現される最初の原爆爆発実験「トリニティ」(1945年7月16日) の後、対日戦勝利のスピーチをするオッペンハイマーの見る幻覚は、アメリカ人にはショッキングであろう。 物事というのは、境界面が面白い。それも、自然と社会との境界面はとりわけ興味深い――私の持論だ。その境界面で、20世紀アメリカは2つの真に巨大な人類的成果を達成した。核兵器開発のマンハッタン計画と、有人月探査のアポロ計画だ。