3時間集中して映画館で見るべき映画「オッペンハイマー」
宇宙から落とされたらどうしよう
戦後、アメリカは戦略爆撃機による爆撃で原子爆弾を投下するという運用方法を採用し、ソ連との冷戦の軍備を進めていく。ソ連も同じことをすると考え、早期に敵の爆撃機を発見して撃墜するための、北米大陸を覆う早期警戒網も構築した。 が、遅れて原子爆弾を実用化したソ連は、まったく違う合理性にたどり着く。ロケットに核爆弾を載せて米本土に直接打ち込めばいい。当時のロケットはそんなに精密に目標を狙えなかったが、問題はない。核爆弾の巨大な破壊力があれば、多少は的を外したって目標とする破壊は達成できる。 外交面で優位に立つには、相手の軍備を無効化したぞというシグナルを送る必要がある。なにをすればいいか。ロケットを使って人工衛星を打ち上げることで、「お前の国に宇宙から核爆弾を届けることができるぞ」と示せばいい。 かくして1957年10月4日、ソ連は、「R-7」大陸間弾道ミサイルを改造したロケットで、世界初の人工衛星「スプートニク1号」を打ち上げた。アメリカは、頭上をソ連の人工物体が妨げられることもなく何度も通過したことに恐怖した。もしもそれが核爆弾であったならば、これまでに莫大な予算を投じて準備してきた戦略爆撃機も早期警戒網もすべて無効になる。 ソ連は矢継ぎ早に成果を見せつける。1カ月後の11月3日に打ち上げたスプートニク2号には犬が乗っていた。1959年9月の「ルナ2号」は史上初めて月面に到達した。「ロシア人は月に軍事基地を造るつもりか!」と恐怖はエスカレートする。その1カ月後の「ルナ3号」は月の裏側に回り込み、今まで誰も見たことがなかった月の裏側の映像を送信してきた。そして1961年4月12日、ユーリ・ガガーリンの搭乗した「ボストーク1号」が人類初の宇宙飛行を成功させる。 翌月の1961年5月、ケネディ大統領は、1960年代中に人間を月に到達させると宣言し、アメリカの総反撃、アポロ計画が始まった。 アポロ計画を成功に導いた要因は、マンハッタン計画と同じだった。経済力、広大な土地、世界最高の頭脳、そしてシステマティックに巨大プロジェクトを進めるノウハウだ。アメリカのGDP(国内総生産)はソ連の2倍以上。米各地に広大なNASA(米航空宇宙局)の宇宙センターが建設され、フロリダには巨大な月ロケット用射点設備が建設された。ナチス・ドイツのために世界初の大陸間弾道ミサイル「V2」を開発したウェルナー・フォン・ブラウンをはじめとした世界最高の頭脳がアポロ計画に従事し、心技体全てそろった宇宙飛行士がテストパイロットの中から選抜された。 そして1969年7月20日、「イーグルは着陸した」――アポロ11号月着陸船「イーグル」に搭乗したニール・アームストロングとバズ・オルドリンの2人の宇宙飛行士が、月面・静かの海に降り立った。 マンハッタン計画に続いてアポロ計画でも、アメリカは勝利した。 しかしその後が違った。 ●その巨大技術は役に立つのか 原子爆弾はなにより「役に立つ」と判断された。核兵器の技術開発は続き、テラー念願の水素爆弾も何度もの実験(そのうちの1回で、第五福竜丸事件が発生した)を経て実戦配備された。やがてソ連も水爆を実用化する。その破壊力は1961年10月30日にソ連が爆発実験を行った「ツァーリ・ボンバ」のTNT火薬換算100メガトンにまで至った(爆発実験は50メガトンに制限して行った)。最初の原子爆弾「トリニティ」の4000倍である。 アポロ計画はそうではなかった。アポロ11号の熱狂は、その後速やかに収束してしまった。アポロ12号以降で世界中から最大の注目を集めたのは、3人の宇宙飛行士の生命が危機にさらされた1970年4月のアポロ13号の事故だった。 実際には11号は始まりにすぎず、月の本格的な科学的調査・探査は12号以降が本番だったのだが、そのことが社会現象になるまでクローズアップされることはなかった。20号まで予定されていた月着陸は1972年12月のアポロ17号で打ち切りとなった。アポロ17号は、アポロ計画の中で初めて月の山岳地域に着陸し、もっとも長期間月面に滞在し、もっとも大量の月の岩石サンプルを採取した科学的に充実したミッションとなった。20号まで実施していたら、どれほどの成果が得られたことか。が、科学的成果に対し、政治も大衆も「ソ連に勝つ」以上の価値を見いだすことはなかった。 後継計画は「宇宙の商業化で、地上の経済に役に立つ」とされたスペースシャトルだった。核兵器のようにどんどん国家による投資が進んで、巨大な月ロケット「サターンV」の4000倍の打ち上げ能力を持つロケットに至る……ということは、ついになかったのである。