「”家族のために働かない”選択肢に気づいた」慶應医学部中退・元エリート女子が“経済的弱者”を選ぶ先に見えたものとは?
名門私立中高から慶應大学医学部入学、その後モルガン・スタンレー勤務と華々しい学歴と経歴を歩んできたくるみさん(@puhsa1)。20歳の時に家を買い、23歳で大家デビュー。今年1月に出産し、現在はサイドFIREを目指しながら、千葉県勝浦市に夫婦共に育休移住しています。誰もが羨むような社会のレールから外れ、たどり着いた「選択的住民税非課税世帯作戦」とは? その先に見えてきた“本当の幸せ”を聞きました。 【写真】家を一歩出れば、目の前は海!!! 千葉県・勝浦市に育休移住する、くるみさんの暮らし
■両親の離婚、コロナ禍での大学中退「そこから、本当の意味で主体的な人生が始まった」
――名門桜蔭中・高から慶應義塾大学医学部入学というエリート街道を歩まれてきましたが、どんな学生時代を送ってきたのでしょうか? 【くるみさん】両親の別居・離婚があって、中高時代は住民税非課税世帯でした。そんな経験からぼんやりと「お金には困らない幸せな人生を送りたい」と考えていました。中高時代は医学部進学が当たり前の環境だったのと、高3の時に病気で慶應病院に入院・手術を受けたのがきっかけで憧れた慶應医学部に入学しました。 真面目な性格で、勉強は得意だったので、自然と“いい学校→いい大学→いい仕事→高収入→幸せ”という一般的な価値観のもと、エリート街道を突き進むことになりました。 ――慶應医学部生時代は学費を稼ぐためバイトに励みながら学生生活を送っていたものの、やがて中退を余儀なくされます。 【くるみさん】順調に進んでいた人生の中、コロナ禍の折に中退という大きな壁にぶち当たりました。ひとたび社会のレールから外れると、自発的に道なき道を進むしかないので、19歳だった当時は先が見えず日々不安でした。 ですが中退後、自分の人生を見つめ直す中で、「幸せな人生を送るためには、必ずしもエリート街道を行く必要はない」と気付いたので、再受験はせず、今までとは違う世界で生きていくことを決めました。 今振り返ると、そこから人生の選択肢・可能性がどんどん広がっていき、本当の意味で主体的な人生が始まったと思います。 ――その後も不動産会社やモルガンスタンレーに転職と異色の転職を経験されています。サラリーマンとしての経験はご自身の中でどのようなものでしたか。 【くるみさん】再受験をしないと決めたものの、この時はまだ「経済的な幸せ=人生の幸せ」という価値観を捨てられずにいて、高卒でも受けられる司法試験の予備試験を受けようかな、などと考えたこともありました。 そんな時にFIREという考え方に出会い、株式投資や不動産投資で不労所得を得て、自由な人生を送りたいと思うようになりました。投資の勉強をするなら会社に入って働きながら学ぶことが1番早いと考え、収益不動産の会社やモルガンスタンレーで働きました。この時に賃貸不動産経営管理士、宅建士、証券外務員一種を取得し、仕事をする傍ら自分でも株式投資をしましたし、20歳のときには家賃がもったいないからとマイホームを買って生活コストを下げるとともに、「ヤドカリ投資」の基盤を作ることができました。 ヤドカリ投資は年収が高くなくても、住宅ローンを利用してできる不動産投資の方法で、ヤドカリのように住む家を変えながら、次々に前の家を賃貸に出して家賃収入を得る手法です。働いてるときはもちろん、大変なことが沢山ありましたが、サラリーマン時代に培った経験・知識がだんだん形になってきたと感じています。 ――こうしたくるみさんの選択について、ご家族や周りの友人はどのような反応でしたか。 【くるみさん】親は心配こそすれど、意外とあっさりしていました。大学中退後は就職とともに実家を出て経済的に自立していましたし、幸せに生きているのなら、と応援してくれました。ちょうど大学を中退する頃にお付き合いを始めたのが今の夫なのですが、夫は「くるみなら何とかなる」と、むしろ私の行動を後押ししてくれました。私のよき理解者であり、一緒に人生を楽しんでいく大事なパートナーです。