3時間集中して映画館で見るべき映画「オッペンハイマー」
驚いたことに、ベルギー領コンゴのウラン鉱石はナチス・ドイツにも輸出されていた。しかし人材と科学技術があってもナチス・ドイツには全面戦争をしながら巨大国家プロジェクトを回す経済力と、システマティックに巨大プロジェクトを進めるノウハウがなかった。同時期日本でも原子爆弾研究が動き出すが、こちらは経済力はおろか陸軍と海軍が反目しつつ研究者を囲い込んで別個に研究を進めるありさまで、論外というべき状況だった。 優秀な人材多数に強力な経済力と基礎的な科学技術力、広大な土地と十分な国家予算、そしてシステマティックに巨大プロジェクトを進める世界一のノウハウが噛み合い、3年で原子爆弾が完成する。 しかし、この時ナチス・ドイツはすでに降伏していた。ナチス・ドイツの原爆開発は、実用化に手が届くようなものではなかったことも判明した。残る日本は、散々に戦略爆撃で叩(たた)いているので、原子爆弾を持つ可能性はない。 アメリカは、自らが巨大な軍事的優位を握っていることに気が付いた。 かくしてもう一歩踏み込んだ人間同士の駆け引き、政治が始まる。 ●原子爆弾とアポロ計画 この時アメリカは、日本本土上陸作戦(ダウンフォール作戦)を立案し、準備していたが、ものすごくやりたくなかった。やったならば、これまでの戦死者と同じぐらい、いやそれ以上の数の戦死者が出るだろう。もう勝負は見えている。さっさと日本に降伏してほしい。が、ぼろぼろの日本は相変わらず降伏の気配も見せない。 ルーズベルト大統領は1945年4月に死去し、トルーマン副大統領が代わって大統領に就任している。選挙を経て就任したのではないトルーマンとしては国民からの支持が落ちるようなこと――日本上陸作戦を実行して戦死者激増――はしたくない。 他方で、戦後を見据えた動きも始まっている。戦後のライバルは日本ではなくソ連になることは明らかだ。ソ連に原子爆弾を持たせてはならない(が、この時すでにかなりの原子爆弾の資料がソ連のスパイ活動によって流出していた)。とはいえその威力は十分に知らしめねばならない。知らしめるには実戦で使用するのが一番だ。さあ、どうする。 原子爆弾の危険性に気が付いたシラードら一部の科学者たちは日本への原爆使用に反対する。日本に降伏を促すにしても、ソ連をけん制するにしても、非戦闘員をまとめて大量殺害するような行為に正義はない。東京湾に落としてその威力を日本に見せつけるだけで十分ではないか。 一方で、グローヴスは、マンハッタン計画に注ぎ込まれた多額の国家予算が、無駄ではないかと議会から追求されることを恐れている。計画の成果である原子爆弾は戦争の役に立ってもらいたい。 あるいはテラーは、原子爆弾など生ぬるいと考えている。原子爆弾の原理は自然の摂理に沿ったものだ。自然の門戸は偏見を持たぬ全ての者に等しく開かれている。知性あるものなら、いずれ必ず正解にたどり着く。だからソ連に対して、あるいは世界に対してアメリカが優位に立ち続けるには、より巨大な破壊力を持つ水素爆弾を開発するしかない。 おそらくだが、1945年7月16日のトリニティ実験成功から、8月6日の広島への投下までの3週間、真の意味で原子爆弾の危険性を肌で実感していたのは、トリニティ実験に立ち会った軍人と科学者だけだったのではなかろうか。その彼らすら、後に尾を引く放射線障害については、まだよく理解していない。 実際にトリニティの爆発を見ていなかったトルーマン大統領以下の政治家も、官僚組織の官僚も軍人も、いったいどこまで実感できたかどうか。その意味を抽象的な「TNT火薬25キロトン相当(トリニティ実験から計算された威力)」という数字でを示されても、あまりに大きい数字は、「なんかものすごく大きい」という思考停止の霧の中で、実感を失ってしまうだろう。 思惑は絡まり、8月6日広島、8月9日長崎、と原子爆弾が投下され爆発する。無辜(むこ)の者が熱線で体を焼かれ、ある者は蒸発しある者は炭となり、大量の放射線を浴びた者は体細胞の再生ができなくなって苦しみつつ死亡し、生き残った者にも長い苦難の日々が訪れることになる。 8月6日の広島で始まった流れは、そのままアポロ計画につながっていく。