川崎に新星現る…久保建英と同期FW宮城天が待望のJ初ゴール
4分が表示された後半アディショナルタイムで、時計の針は94分を指していた。振り向きざまに両手を天へ突き上げ、次の瞬間、先輩たちの手荒い祝福でもみくちゃにされた宮城は、待望のJ1初ゴールを最終的には「ラッキー」という言葉に帰結させた。 「何本かに一回決まるようなシュートが出た、という感じですね」 開幕からJ1戦線の首位を独走してきた川崎だったが、東京五輪による中断が明けた後はややペースダウン。8月25日のアビスパ福岡戦では今シーズン26試合目で初黒星を喫し、昨シーズンから継続してきた連続無敗記録も「30」で途切れた。 この時点で猛追してきたマリノスに、勝ち点で1ポイント差にまで肉迫された。東京五輪前にインサイドハーフ田中碧(フォルトゥナ・デュッセルドルフ)、終了後には左ウイング三笘薫(ロイヤル・ユニオン・サンジロワーズ)が相次いで移籍。昨年来の快走をけん引してきた精鋭たちが、同時に旅立った影響は小さくなかった。 川崎のストロングポイントでもあった左ウイングは、6年目の長谷川竜也、8月に加入したブラジル出身のマルシーニョ、そして宮城が争う激戦区となった。 東京五輪後に再開されたリーグ戦では、まず長谷川が3試合で、次に宮城が2試合で続けて先発。徳島ヴォルティスとの前節で鮮烈なデビューを飾ったマルシーニョが鹿島戦の先発も射止めたなかで、宮城は泰然自若としていた。 「チャンスがあったのに、ゴールを決め切れない場面が多かった。課題しかないような感じでしたけど、入らないときは入らないし、入るときには入るなかで、今日は入る日だったということ。次からはプレー内容も含めてしっかりと改善していきたい」 神奈川県川崎市で生まれ育った宮城は、小学校1年生でサッカーを始めてすぐにサッカーとフットサルのスクールで川崎のサッカーと出会った。小学校4年生のときにセレクションに合格。川崎フロンターレU-10の一員になり、久保とチームメイトになった。 ともにパリ五輪世代となる2001年生まれで、誕生日もわずか2日違いの久保は半年もたたないうちにスペインへわたり、名門バルセロナの下部組織の一員になった。一度帰国してFC東京の下部組織に入ると、トップチームで演じた鮮烈な活躍をへて再びスペインの地へ、今度はレアル・マドリードへ移籍した軌跡から常に刺激を受けてきた。 宮城自身も川崎フロンターレU-15、U-18をへて、昨シーズンからはトップチームへ昇格。J3のカターレ富山への期限付き移籍で武者修行を積み、満を持して今シーズンに復帰。いよいよJ1の戦いへ挑む心境を、日本代表でもある久保の背中を見すえながら「同じアカデミー出身者として、負けたくない気持ちが強いですね」と表現したことがある。 同じくアカデミーの先輩、三笘の移籍とともに夏場から手にしたチャンス。マルシーニョという強力なドリブラーの加入を、宮城はむしろ笑顔で歓迎する。 「マルシーニョが入ってきたことでチームとしてプラスな面も大きいし、自分にとってはライバルでもあるので切磋琢磨しつつ、スタメン争いでは負けたくないという気持ちは大きい。ただ、彼とは特長も違うので、結局は結果で争っていかないとダメなのかなと思っているので、プレー内容を改善しつつ、より結果にフィーチャーしていきたい」