凱旋復帰戦で4-0圧勝…11年ぶりに帰ってきた長友佑都がフル出場でFC東京にもたらしたものは何だったのか?
重馬場のピッチを走りまくった。“タイマン勝負”で無類の強さを発揮した。何度も吠えては新たな仲間たちを鼓舞した。そして、最後に最高の笑顔を輝かせた。 ヨーロッパの第一線でプレーし続けた11年もの歳月を経て、プロの第一歩を踏み出したFC東京へ電撃復帰した日本代表DF長友佑都(35)がホームの味の素スタジアムに横浜FCを迎えた18日の明治安田生命J1リーグ第29節で凱旋デビュー。チームに欠けていた熱量をもたらす“魂の伝道師”となって4-0の快勝に貢献した。 15日に本格合流したばかりの長友は、日本代表で主戦場としてきた左サイドバックで先発フル出場。チーム最多のスプリント21回をマークした豊富な運動量と、対面の右ウイングバック・マギーニョを封印した1対1における強さ、そして味方のモチベーションを高め続けた大声を介して、前節で覇気なく零封負けしていたFC東京を変貌させた。
マッチアップしたマギーニョを封じ込める
まだプロサッカー選手になる前の、明治大学体育会サッカー部で嫌々ながら転向したサイドバックの面白さに魅せられたころと同じ言葉が長友から返ってきた。 「いい選手であればあるほど、自分自身は燃えるタイプなので。今日は守備のところですべて勝ってやろう、という気持ちでピッチに入りました」 いい選手とは横浜FCで最多の23回のスプリントをマークしたマギーニョ。事前分析で「スピードがあっていい選手だな、と思った」と警戒していた29歳のブラジル人のサイドアタッカーと、4度にわたって繰り広げた1対1を長友はすべて制した。 特筆すべきはリードを2点に広げた直後の、前半23分に訪れた最初の攻防だった。一瞬の間を置いて縦へ飛び出したマギーニョに、間合を十分に取っていた長友も対応。ゴールライン間際で巧みに身体を入れて、ボールを奪いかけた直後だった。 マギーニョの必死の抵抗にたまらず転倒する。このままでは相手のコーナーキックになると思ったのだろう。ゴールラインを割ろうとしていたボールを頭で止めようと、長友が必死に首を伸ばす。直後にマギーニョの反則を告げる主審の笛が鳴った。 この場面に、まだ無名だった大学時代の長友が、図らずもダブって見えた。 政治経済学部の3年生へ進む直前の2007年3月。FC東京との練習試合で明治大の右サイドバックとして先発した長友は、縦への圧倒的なスピードを武器としていたブラジル人アタッカー、リチェーリとの1対1で何度も勝利している。 「ケンカしながらガンガンやり合った。1対1では絶対に負けたくなかったので」 リチェーリとの壮絶な“タイマン勝負”を後にこう振り返った長友に、当時のFC東京を率いていた原博実監督(現Jリーグ副理事長)が「アイツはいったい誰なんだ」とひと目惚れ。JFA・Jリーグ特別指定選手を経て同年秋のFC東京からの正式オファーに、そして大学に籍を残したまま2008年2月に結んだプロ契約につながった。