誰も見たことのない「生き物」を生み出す 世界的にも注目される特殊メイクアーティスト・快歩
授業カリキュラムは1年間。顔型の取り方から特殊な素材の扱い方まで、知りたいことのすべてがそこにあった。だが同時に作業工程が多く、地道で根気のいる仕事だとも知った。入学当初二十数人いた生徒は、卒業までに半分に減っていた。 造形作家の岡田悠助(37)は快歩より1年先に「自由廊」にスタッフとして参加し、スクール時代から快歩を知る一人だ。直接指導はしなかったが、あるとき快歩の作品を見る機会があった。 「間違いなくクラスの上位には入っていたけれど、正直、飛び抜けて彫刻がうまいとかいう印象ではなかったんです。ただ当時からいまにつながる独特の世界観を持っていた。そのときから自分は好きだったし、おもしろいなと思ったけれど、同時に将来が心配でもあったんです」 特殊メイクの仕事は、オファー通りに作るのが基本だ。自分の好みを出すのはよしとされず、あくまでも技術職。この世界でやっていけるだろうか? そんな岡田の心配はある意味、的中する。 ■仕事はなくなっても 自分の作品を作ると決心 19歳でスクールを卒業した快歩は、フリーで仕事を請け負うようになる。映像の現場に呼ばれてゾンビメイクや傷メイクをすることもあったが、駆け出し時代はアシスタント的な立場が多い。「自由廊」にアルバイトで呼ばれたときは岡田と一緒に作業をし、ほかの先輩が作った造形物の型をひたすら磨いたりもした。そして快歩は4カ月ほどで物足りなさを感じてしまう。 「やっぱり特殊メイクは自分のやりたい表現を作るための技術なんだと気がついた。そこから自分の作品をバーン!と作り出すようになりました。ちゃんと仕事はなくなりましたけど(笑)」 そもそも仕事が多いとはいえない特殊メイク業界で快歩は「どう扱っていいかわからない存在」になっていった。それでも自分のやりたいことを曲げたくはない。朝からオフィス家具の組み立てや配送の派遣バイトをこなし、午後は自分の作品を作り、インスタグラムにアップする。映画やCMの現場に呼ばれれば、全身全霊でメイクをした。 傷ひとつ血糊(ちのり)ひとつ作るにも、色味の違いがありセンスが必要だ。例えば一瞬しか映らないシーンではグロテスクに作り込みすぎるよりも、濃淡をつけ、頬にスッと血糊を引くだけのほうがリアルに見えたりもする。映像のできあがりまでイメージして作業をする術も身につけていった。 (文中敬称略)(文・中村千晶) ※記事の続きはAERA 2024年12月30日-2025年1月6日合併号 でご覧いただけます
中村千晶