コロナ禍の震災語り部たち 冷たい慰霊碑「ぜひ触りにきて」 オンラインで当事者たちが紡ぎ出す言葉を追体験 #知り続ける
みずほさんと大川小学校の話に移った。橋のたもとから見えないはずの大川小学校が見えた時のこと。みずほさんの遺体と対面した時のこと。遠く離れた場所で聞いているはずなのに、現地で話を聞いているような錯覚に襲われるのは、私が現地を何度か訪れたことがあるからだろうか。敏郎さん自身が大川小学校を案内する動画が流れる。 (体育館のすぐ裏に、簡単に登れる山があります。私たちは、ここに登っていると思っていました。もし、津波が来ても。ここは子どもたちがいつも登っていた山です。シイタケ栽培の体験学習をしています。じゃあ、登ってみます) 動画の中の敏郎さんが山を登る。途中、津波の到達ラインが見える。登り始めてから30秒足らずで、再び敏郎さんが話し始めた。 (ここまで来たら助かっていたということです。今、私たちが見ているこの風景。この風景が、あの日見れていれば助かっているんですよね。あの日の命の代わりに見て下さい…) カメラが校庭を映す。パソコン画面の左側で、今度は今の敏郎さんが語る。 「あの山を登れないと言った人は今まで一人もいません。100%簡単に登れるって言うんですよ。でも、命を救うのは山ではないんですよ。山に登るという判断と行動です。避難経路も、防災マニュアルも、訓練も、ハザードマップもいらないわけじゃない。でもそれは魔法のじゅうたんにはならない」 再び敏郎さんが人々をガイドする動画が流れる。長い時間グラウンドで待機を命じられ、最後の1分間で先生の指示に従って避難を始め、津波に飲み込まれてしまったあの日の子どもたちの行動をトレースする内容だ。学校の敷地から外に出る小さな通用口がパソコンの画面に映る。子どもたちは、6年生を先頭に1列でここを出ていき、津波へと向かって避難した。 「ここをどんな顔してうちの娘が出てきたのか、っていつも考えます。ベソかいていたと思います。怯えていたと思います。誰かの名前を呼んだかもしれない。そういう子どもたちがここからどんどん出てくる。想像してください。ここから出てくるのは自分です。自分の大切な人です。それが想定(するということ)ですよね。99%津波が来る、地震が来るといわれて、私もやっていました。訓練、マニュアル、ハザードマップ…。でもその想定をしていた時に、一度も私は娘の顔を思い浮かべることはなかった」