コロナ禍の震災語り部たち 冷たい慰霊碑「ぜひ触りにきて」 オンラインで当事者たちが紡ぎ出す言葉を追体験 #知り続ける
敏郎さんが発した「それが想定ですよね」という言葉に、身体がギュッと硬くなった。新聞記者時代から防災報道に携わり、何度も「想定」という言葉を使ってきたが、自分はいったい何を伝えてきたのだろうか。大川小学校で案内をする敏郎さんの動画が再度流れる。動画の中で、敏郎さんが語る。 (ここは今すごく特別な場所になります。「あの大川小学校」って言われます。「あの大川小学校の遺族ですか」って言われます。「あの」ではなかった日々を私は忘れたくないし、伝えていきたい。今もよく目を凝らして、耳を澄ませてみると、子どもたちが見えてきます。声も聞こえてきます。ここは子どもたちが行進した場所です。整列した場所です。あの日まで、ここがどんな場所で、どんな風景で、どんな子どもたちがいたか。それを伝えることができれば、あの日に何があって、あの日からがどんな日々だったのかということが分かると思います) 大川小学校で語る動画の敏郎さん、石巻市内の別の場所で語る現在の敏郎さん、東京の郊外でその語りを聞く私。あの日までの日々、あの日のこと、あの日からのこと、そして今日から先の未来のこと。自分の中で、時間と場所が入り乱れていけばいくほど、敏郎さんの語りは直接、私の中に飛び込んでくる。およそ1時間の語りを聞き終えた後、2歳の息子に話しかけた。 「今度、一緒に石巻に、大川小学校に行こうね」
「ようやく家に連れて帰ってあげることができると少しほっとした」 佐藤美香さん
午後の第2部の語り部は佐藤美香さんだった。美香さんの娘、愛梨さんは安全な高台にある幼稚園にいるはずだった。が、地震直後に幼稚園バスに乗せられてしまう。幼稚園バスは高台を降りたところにある小学校に待機。その後、バスは動き出したものの、安全な場所にたどり着くことはできなかった。愛梨さんはほかの園児4人と一緒に犠牲になった。焼死だった。 美香さんの語りは、一人で語り続けた第1部の敏郎さんとはまた少し違った形で進められた。「3.11みらいサポート」の藤間千尋さんの質問に美香さんが答える形で、語りは進んでいく。そして、その時々の内容に沿った場所に「3.11みらいサポート」のスタッフがカメラを持って移動し、現場の映像を見せてくれた。 幼稚園があった高台というのは、日和山のことだ。そして、幼稚園バスが待機した小学校は「石巻南浜津波復興祈念公園」のすぐ目の前の門脇小学校。今年4月から震災遺構として公開されることになっている。「3.11みらいサポート」もそのすぐそばに伝承施設「MEET門脇」兼事務所を構える。 私は2月23日に「石巻南浜津波復興祈念公園」内の施設で語りを聞き、「MEET門脇」に立ち寄り、門脇小学校を外から眺めた後、日和山を歩いて石巻駅に戻っていた。第2部でカメラが映し出した映像のほとんどすべてを3日前に見ていた。まだ記憶に新しい風景を頭の中に思い浮かべながら、2人の声に耳を澄ませた。