コロナ禍の震災語り部たち 冷たい慰霊碑「ぜひ触りにきて」 オンラインで当事者たちが紡ぎ出す言葉を追体験 #知り続ける
「3.11みらいサポート」の調査によると、被災地で続けられてきた震災学習プログラムや伝承施設の受け入れ数は2021年に少し回復したが、コロナ前と比べると依然として低い水準にある。特に丹野さんらのような語り部が被災の経験や教訓を伝える震災学習プログラムは前年よりキャンセル数が増加した。「3.11みらいサポート」の専務理事、中川政治さんは「語り部さんたちから『またキャンセルなの』と言われることも少なくない」という。 10日後の3月5日、別件で仙台市を訪問した際、予定の時間のわずかな合間を縫って隣の市である名取市の閖上地区に足を伸ばした。名取駅で下車し、タクシーに15分ほど乗ると、まだ新しい4階建ての校舎が見えてきた。近づくと、学校を見守るように慰霊碑はあった。丹野さんの息子、公太さんの名前は右下に刻まれていた。時折、近くを走る車以外に辺りに人気はなく、静かに時が流れていた。10日前に比べると暖かい日だったが、石に手を置くとやはり少しだけ冷たかった。
「『あの』ではなかった日々を忘れたくない」 佐藤敏郎さん
石巻市を訪れてから3日後の2月26日土曜日。私は自宅でノートパソコンの前にスタンバイしていた。「3.11みらいサポート」主催のオンラインでの語り部イベントに参加するためだった。午前の第1部、午後の第2部に分かれていて、時間はそれぞれ1時間。私の足元で2歳の息子がはしゃぐ中、午前10時から第1部はスタートした。 語るのは元教員、佐藤敏郎さんだった。震災で、石巻市立大川小学校に通っていた当時小学6年生だった娘みずほさんを亡くしている。勤務していた女川中学校の生徒たちに震災後の現在の想いを込める俳句作りの授業を行ったことがメディアで紹介されたことでも有名だ。現在は小さな命の意味を考える会の代表を務め、全国で講演活動を行っている。 生活感あふれる自宅で、どれほど集中して聞けるのか。少し不安はあったが、現在は地元FMラジオのパーソナリティーも務める敏郎さんの語りが始まると、それは杞憂に終わった。パソコン画面上には、左側に語りを行う佐藤さんが、右側に説明資料が映し出される。時折、敏郎さん自身が現地を案内する動画なども挟み込まれる。 勤務していた中学校での避難、被災後の俳句の授業で子どもたちの表現に驚かされたこと、その後転勤した東松島市の中学校の教え子たちが語り部になり、彼らのことが『16歳の語り部』(ポプラ社)という本になったこと――。そうした事実とともに、その時々に敏郎さん自身が感じたことが語られる。みるみると語りに引き込まれていった。